AVANCE

〜ビアン人生も悪くないですよ〜

度量を広げたいの、私

皆さま、今週も夜のてっぺんごきげんよう。

今回は0時ちょうどにはお届けできませんでした。
今週はうっかりぼうっとしすぎまして、なかなかブログに手を付けるに至りませんで…。
「0時すぐに待機していた」
という都市伝説級の未確認有難い生物な方がいらっしゃいましたら、大変失礼いたしました。
ありがとうございます///恐縮です。


前回、

「人生なんて=(イコール)グダグダだと思うの」
という事を独り言ちました。

それを前提に話をさせてもらうとするとですね・・・

。。。。。。。。。。。。。。。。。。

私、グダグダ。
でも人生ってきっとそんなものだし、私のグダグダっぷり、仕方ない。

そうよねそうよね。(言うても努力はせんとね。)

でも、私以外の人のグダグダ、許さない。

え?

他の人の失敗やうっかりは、許せない。率直に言ってムカつくわ!

うふふ。
・・・・・・。
・・・うわーん。
・・・なぜ「他の人は」なのよう。
どの物差しなのよう。どの色眼鏡で見てるのよう。
なぜ、その定理を自己には適用して他者には適用して差し上げないの
自分を棚上げしてんじゃありません!!
それあなた他の人から指摘されたらどうするつもりなの。恥ずかしいのよ?墓穴掘るってものよ?

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

・・・ってことってありません?

・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・あっ。

それは私だァァァァァ!!!!!

・・・・・申し訳ありません!!
古今東西生まれついてから今までかかわった皆々様。
生きてきた中でいかにそんな発言をペロッとうっかりしてきたか・・・
(そして今現在もボロンボロン墓穴を量産しているに違いありません)


さておき(でもまだ謝罪したい。すみませんすみません)、

 

「どうして我々は自分の事をついつい棚上げしてしまうのか」、考えたいんです。

結論から言ってしまいますが、
「その定理を自分の中に落とし込めてないから。」
じゃないかなと思います。

他の言い方をすれば、
「その定理をきちんとは理解できていないから。」
「腑に落ちていないから。」
「後悔と反省を伴ってその経験を振り返れていないから。」

どういうことかというと。
(以下、▲マークまで読み飛ばしていただいてかまいません。下世話ですので

。。。。。。。。。。。。。。。。。。

ある苦い経験をしたとします。

例えば。
授業中、猛烈な膨満感があなたの大腸を襲ってきました。
あなたはその膨満感に耐えかねて、銃声のような屁を・・・
(さすがに乙女ばかりが集う場でこの言い回しはどうなんだろう)
(でも他に言いようが浮かばないので続けます)
正午を知らせる大砲のような屁を、屁を…屁を。してしまいました。屁を。(楽しい)

・・・クラスのみんなは肩で笑っている。
あからさまに机ごと移動する者も、知らぬふりをして目を合わせようとしない者もいる。

でもね、仕方ないじゃない!
すべては私を襲った腹部の膨満感のせい!!!!
そう!私は悪くない!!むしろ私は被害者!!
昼に購買で買った揚げパンと焼きそばパンと卵サンドと頭脳パン(伏字にした方がいいのかしら)とのっぽ(伏字に(略)と、物理の先生からかっぱらってきたチョコパンとバレー部の副部の子からもらった蒲焼きやさん太郎(伏字(ry)と牛乳とドクターペッパーとおしるこのせい!!!!!!!

・・・・・あっ。

そっか。食べすぎかあ。

今度から気を付けよう。
体育祭の幕開けを告げるような屁はもうこりごりだわ。

。。。。。。。。。。。。。。。。。

――後日・・・(長い)

今日、クラスのB子も、授業中に小型船舶のエンジンのかけ始めみたいな屁をしてしまって赤面していたわ。
うふふ。
きっと、おひるごはん、食べ過ぎたのね。
あるあるっ★大丈夫、私もそうだったから!

こうして、一度放屁で懲り、かつ学んだあなたは、クラスメイトの不意の放屁を許せる度量を身に着けたのでした。

~おしまい~

。。。。。。。。。。。。。。。。。

(深夜ってバカ製造機)

▲▲▲▲

というような、
①「経験する」
  ↓
②「後悔する」「恥を知る」
  ↓
③「でも仕方ない部分もあったと知る」

(④「仕方ない部分も含め、自身で何とかできる箇所は次こうしようという反省・教訓を得る」)

 

一通りの流れを通過してはじめて、自身の過失や未熟さを「仕方ない」と言えるようになるように思います。
そして、自分の経験と照らし合わせて、他者のそれにも。

逆を言えば、この流れをきちんと通過していないと、他者の過失や未熟さは許せないかもしれません。
その人がただ鈍くさくてまどろっこしくてイライラする、というふうに。

けれど、それって、許せない」その人と同じ状況に置かれたとき、果たして自分の事も許せるものでしょうか。
(本当はどこかで自身を責めていたりしません?)

 

「仕方ない。それは失敗するものだ。(失敗しながら上手くなる/学ぶものだ)」
と分かっていれば、きっと自分も他の人のことも責めすぎるということは無いのかも。

その「仕方ない」を増やしていくことが、いわゆる「度量」というものを広げることなのではないかしら、と思います。


「他人への想像力で広い心を持ちましょう」
なんて一般的に言ったりするけれど、その前に、

自分の中でぐるぐると考えて、物事の難しさを認める(「仕方ない」部分があると知る)

ことが第一段階として大切なような気がします。
きっと自分だけでなく、他者のことをもスムーズに許せるようになるから。

というか、まず自分を許さないと他者を許せるようにならないのかも。
自分を許しているつもりでも、実際は目を背けて放置しているだけかも。
他者を許しているつもりでも、実際はどうでもいいだけで、かつ自分の事も冷めていたりするのかも。

・・・・・・・・。
「自分を許す」というのがまずハードル高いですよね。
ということは、真の「度量」、まだまだ得られてないんだろうな・・・。

 

そして途中のたとえ話、今更ながらに要らなかった気が…。
(楽しかったし、一切後悔はしておりません。)

 

ABOUT THE AUTHOR

siso
29歳/ 中性~フェム(ゴリラ風味) / 薬局事務

おうち(人の家・モデルルーム含めて)大好き。だけど徘徊も好き。
HPではイラストとデザインを担当。
いつだって自分のブログ書くより人の記事にコメントしていたい。
女性とのお付き合い経験皆無。

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

CAPTCHA


Return Top