※このブログは【死】をテーマにしておりますのでご注意ください。
上記のmasaのブログなのですが、実は前々から下書きとして上がっていたため私は更新される前から読むことができていました。
アンサーブログ書こうと常々思いつつ、あまり考えたくない内容で、考えようと思うけれど、しんどくなる。
希望に思えない未来には蓋をしたい。でも「死」が希望ではないと決めるけるからこそ蓋をしたくなる。
もしかしたら、たくさん過ごしたことで「もう十分だよね!」と2人で笑い合って迎える未来があるのかもしれない?
いずれ来る未来。目を逸らさないで、少しずつ考えていきたいですね。
Q.「看取りたい」か「看取られたい」か、どちらか。
これは、素直に、どちらかというと「看取られたい」です。
まだ生きていかなければいけないのに、これからの相手のいない人生が考えられない。
相手にそう思わせてもいいのかと思われそうですが、実際嫌なんだもの。
看取ったとしても、あとにすぐに追いかけたいくらい。
そりゃあ、私も「いっせーのーで!」っておしまいにしたいです。
医学が進んで、尊厳死も認められて、うまい具合にいかないものですかね。
そして、相手が病気で寝たきりになっり痴呆になったりしたとき。
介護する側になるのであれば、つらい思いもするのでしょうが、今までの思い出を糧に乗り越えられるような気もします。
ただ、自分が介護される側になったとき。
「つらいし疲れるだけだからもういいよ」「延命治療もしなくていいよ」と思ってしまう。
寝たきりや痴呆になってまで生きたくないですし自分が楽になりたいのもありますが、介護って絶対的に負担ですし、それを相手に背負わすのが申し訳なくなってきて情けなくて。
考えれば考えるほど、そのときになってみないと分からないですよね。
ただ、最後は笑い合っていたい。
一緒に同じ老人ホームに入るのが1番いいかしら。
9さん
テーマ:看取りたいか?看取られたいか?
自分は、絶対に看取られたい派です!!!
彼女の居ない世界は、想像できない・・・。
とは言ってみたものの、そんな相手が今は居ないので、実際にはどうなんでしょうね?
潤さん
看取られたい派がこちらにも!
年齢を重ね長く連れ添った彼女がいると仮定して考えましたが、実際にその年齢になったときにそんなお相手さんがいると嬉しいですよね。
コメントありがとうございました。