AVANCE

〜ビアン人生も悪くないですよ〜

強さを信じていない

看取りたいか看取られたいか

※このブログは「死」をテーマにしていますのでご注意下さい。

 

 

実は、この話が出たとき、masaと食事をしていて、私はその場にいたんですが

私は即答で「看取りたい」でした。

 

 

私も、身内が亡くなったり、学生時代にお世話になった先生が急遽亡くなったりという場を経験したり立ち会ったりしてきましたが

やっぱりまだどこか「死」というものを実感として感じていないところが自分にあるような気がするんです。

 

そりゃもちろん悲しいものなんですが、たとえ身内であっても、なんだか一線を引いた向こう側の出来事のような感覚というか。

 

 

もしかしたら医療機関で働いているという職業柄もあるのかもしれません。

 

 

 

さて、大切な人のお看取り。特に今回はパートナーに関してですが

私は9さんのような「その人のいない人生を生きることは考えられない」という強い信念は、残念ながらまだ持てないというのが正直なところです。

 

それよりも、「看取りたい」の即答に至った理由としては

「自分のことで悲しんでいる相手を想像するなんてとても無理だ」という方でした。

 

私はたとえ相手に先立たれてしまっても大丈夫だ、なんとかやっていける。でも相手はきっとダメだろう…と、悲しみにくれてしまうのでは…そんな強い人じゃないもの、と思ってしまうのです。

 

このブログを書くにあたって、気づいたのは、失礼ながら相手の強さを信じていないということですね(笑)

 

これまで付き合った人の中で、「この人は、強い人(メンタル的にとか芯が強い)だなぁ」と感じた人がほぼいないのでは、と思います。

 

 

私もそこまで強い人間じゃないですけど、多分、それは自分が、わりと無頓着な人間で、なんか飄々としていて、ポジティブで、まぁいっか主義な人だからですかね(^_^;)

それがクールと言われる原因なのかしら。。。

 

 

 

人生のパートナーとは、お互いの強さを信頼しあえるような関係を築いていきたいですね。

 

 

 

そうそう、この動画を見たことある方いますか?

 

番組スタッフに、亡くなった旦那さんの写真を待ち受け画面に設定してもらったあとの言葉がとても印象に残りました。

「心丈夫やわ。こうしてもっていたら、自分自身がこけないような気がする」

 

看取る側でも看取られる側でも、相手の支えによって自分がこけないでいられる。

 

それが強さなのかもしれませんね。

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