AVANCE

〜ビアン人生も悪くないですよ〜

似ている誰かとは…

今週もお疲れ様です。夜のてっぺんごきげんよう。

 

今週は、↓ まーさんと同じく ↓ 、女子バレーのワールドグランドチャンピオンズカップ(グラチャン)を見ています。

振り向いてなかった恋

まさかまさかブラジルに勝つなんて
しかも、セットを交互に取り合ってのアツい闘い!目が離せませんでした。

アメリカ戦は残念でしたが…
怪物のように思えていたあのアメリカにあそこまで食い下がるなんて。毎試合惹きつけられる…!
絶対全試合見るぞーー!

小さい頃から、女子のバレーボールの試合は見る習慣がなぜかあります。男子はそうでもないけど。サッカーも然りです。

 

 

 

さてさて。
秋の虫が鳴き、空気がさわやかになって来た今日この頃。

気持ちもなんだか軽くなって、ふと思ったことがありました。
今回は、そんなお話です。

 

「自分だけ」に終始するなんて勿体ない!

ってね!

 

 


 

 

クリソツ!アナゴさん、強いに違いないと思ってたら…!

 

「自分と似ている」人っていますよね。気質や感性において。(※上の画像はイメージです※)

 

学校や職場などで知り合う人とは、よくよく話したり、言動を観察しないとそうとは分からないものですが、詳細な自己紹介やプロフィールなどを通してある程度人となりを分かる場だと、「あれ?もしかして私と似てるところがあるのかなあ?」と文面の段階から感じられる人がたまにいます。

 

実際にお会いしてお話しするとますますその感が強まる、という出会いが最近ありました。

ですが、話をするうち、その人は、生まれ育った環境や経歴は私とはかなり異なることが分かりました。
にもかかわらず、「似ている」と思えてしまう。

表面的な部分では、服飾の好みがかぶっていそうなこと。
精神的な部分では、一つはやはり所々の好みが一致すること。
例えば、住む場所は「郊外の方がいい」。そして、音楽のテイストとしても、「穏やかなのがいい」ということ。
そして、実用的な範囲のスピリチュアルや人生訓的な話に興味があること。
内向的で、繊細なこと。

 

・・・・・・・・
(・・・・私にも繊細な部分がある、という体でお願いします/////////////////実のところ繊細なんです、たぶん////////////心はマゾいめですけど/////////////)

 

その人の経歴を聞くと、私とは違う積極的でアグレッシブな面がある模様。
けど、感性はなんだか親近感を覚える。

 

…不思議なものです。
その人は、私のように母子家庭でもないし、「最近まで生きる意味が分からなかった」という生き方をしてきたわけでもないのに。

 

たまーに、そう感じる人っているものです。

 

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

そして、最近「似ている」と思うもう一人の人物がいます。
おなじみ姉1です。

気性の荒さ、自意識の強さ、卑屈さ、寂しさ、コンプレックス。
共感できてしまう部分が多い身近な人物です。

 

似ているから、嫌だった

 

↑ 前回 ↑ も触れましたが、姉1に対しては、似ているがために「ある可能性」を考えてしまうんです。
すなわち、

 

「私も、我が家庭の長女として生まれていたら、姉1のような振る舞いをしていたかもしれない。妹に反面教師にされてしまうような人間になっていたかもしれない。」

ということ。

 

姉1からしても同じだったかもしれません。

姉1が、私と同じように末っ子として生まれていたら、私と同じく「とげとげしい長女から距離を置きたい」と思うようになっていたことでしょう

 

姉1と私は確かに似ている。
けれど、本人たちと私たちを深く知る人以外には、全く違う人間のように映る。事実、生き方は大きく異なっている。

けれど、姉1と私の違いは、ただ「生まれた順序」だけなのかもしれません。
本質は、きっと同じようなもの。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

「なんだか私たちは似ているなあ」
と感じる人との間にも、もちろん差異は多くあります。

 

似ているだけに、
「似ているけど、私とは違う部分」
ばかりが時間を経るうちに目立っていくような気がします。
その時、「あ、やっぱり分かり合えないのかな」なんて、寂しさや不快感や失望を感じてしまいがちだけど…

そこで、広がりを感じることもできる

 

 

「もしかして、私もこの人のような経験をしていたのかもしれない。この人と同じ道を選んでいたのかもしれない。」

と。

私ももしかしたら…
習い事をたくさん習っていたかもしれない。英会話が得意で、多くの国に旅行に行っていたかもしれない。

勉強が好きじゃなくて、絵の事ばかりに生きていたかもしれない。もっとアグレッシブに人付き合いをしていたかもしれない。
はたまた、承認欲求を満たすべく、ずっとかわいそぶっていたかもしれない。

 

「似ている誰か」の持っている「自分との違い」に、嫉妬や軽蔑を抱くことは簡単だけれど、自分にも「同じ道をたどっていた可能性」があったことも妄想することができる。
その人の経験してきた分の人生も、もしかして自分のものだったかもしれない…
もし、私の生まれや育ちが「私と似ている誰か」と同じものだったならば、の話だけど…

 

 

 

その可能性を、「似ている人」は示してくれている。
「本質的な部分で似ている」と感じられる人は。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

「似ている」からこそ、親しみを抱く。
「似ている」からこそ、嫉妬する。
「似ている」からこそ、軽蔑する。
「似ている」からこそ、「私ももしかして…」と思わせてくれる。

「近さ」の中での「違い」は寂しくもあるけど、リアルに感じられる「豊かさ」でもある。

 

「似ている部分」だけでなく、「『似ている誰か』の生きてきた経験」にも共感し入りこめたなら、…
その人の持つ豊かさまでも、私は得られるのかも。

 

・・・

なんて最近思いました。

「似ている誰か」との違いを考えることは、面白い。
自分の可能性に思いを馳せることでもあるから。

 

 


 

きっと、秋だから欲張りなんでしょうね。
食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋しかり。

 

秋は、「あれもこれも」と心が広がります。

 

 

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