家で育てているチューリップが満開で穏やかな学生生活の最後を過ごしています。あと3日で春休み終わるんですって…
ごきげんよう、オデコです。
山口さんのブログを読んでいて思い出しました。そうそう、「彼女と別れても生きて行けるか?」なんて話しましたね。
私の答えは「生きていける」です。
今の彼女さんで〇人目。出会いと別れを何度か経験しています。
相手の浮気、お互いなんだか思っていたのと違った、相手を傷付けてしまった、何かの拍子ですれ違ってしまった…
別れた直後はどんな理由であれ、身を切るような、真冬の屋外にいきなり放り出されたような気持ちになりました。
肉体的な「死」を意識したことはないけれど、精神的な「無」や「虚しさ」に苛まれて、とてもわかり易くネガティブになったり、食べられなくなったりします。
1ヶ月くらいコーヒーしか飲めなくなったり、クラゲとキュウリの中華和えしか受け付けなくても死にませんでした。(※死にたかったわけではありません)
そして、ネガティブさが残っていても、ある日ふと「何か食べても良いかな」と思えるようになります。真冬に放り出されたようなつもりだったけど、実際の季節は夏だということに気付いたりもします。
恋愛が終わった時、息も絶え絶え、傷だらけでなんだか髪もボサボサで本当に人に見られたくない状態だけど、生きている。毎回そんな感じ。
なので、案外生きていけるものだと確信しています。重傷だけど。
ただ、「それを相手(彼女)に言っちゃうと寂しいんだよね〜」とまーさん。
事実ならつい言っちゃう。
彼女相手だとつい言っちゃう。
「好き」とか「愛してる」の言葉より、素敵なプレゼントより、お互いの未来のために必要な事、やるべき事をきちんとやるのが愛だと信じて止まない私のこの性格。
どこで形成されたの、と考えていたら思い出しました。
遡ること20うん年前。オデコ3~5歳くらい。
小さい子どもって「お母さん好きー」みたいな事を言うじゃないですか。
たまたま叱られた後だったかに気不味い空気を変えるべく「お母さん好きー」を言ったら、「お母さんが好きなら、きちんとしなさい!(叱られた内容について行動を正せ)」とさらに怒られたことがあることを思い出しました。たぶんその後も何回か言われた気がします。
そんなことすっかり忘れて立派なビアンに育ったのですが、どうやら母の怒り?躾?は私の恋愛観にしっかり影響を与えていたようです。人格形成って凄いなぁ、とただただ感心です。
さておき。
まーさんに言われると本気で直そうと思います…!もうちょっと人の心に寄り添えるように、ですよね…!
今はまだ年齢も相まって考えることは少ないのですが、彼女を死という形で失った時は…どうなのでしょう。
後追いとかするタイプではないけれど、事実を受け止められるのか、自分自身の生活を彼女を失った後も営み続けることが出来るのか。
悲しみに暮れた後もなんだかんだ、けど、とても退屈に生きているのかな、とぼんやり思います。
なんだか珍しく深刻?マジメ?なことを書いてしまいました。
そうそう、今日の14時に国家試験の結果発表です!
先日不安になって、もう1度業者さんから出ている速報で答え合わせをしてみましたが、最初の答え合わせから1点も動きませんでした。
私の愛の形である、と書き出すと心底恥ずかしいですが、
お互いの未来のために必要な事、やるべき事をきちんとやる
が試される時だったりもします。
どうか受かっていますように。
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