昨夜は久々の飲み会。
近況を伝え合った1次会を終え2次会へ
そこでは、なぜか「子供がいない人生」について話す事に。。。
不妊治療を2年続け、最近、治療で子供を作ることを諦めた先輩。結婚願望が薄く子供はどちらでもいい38歳の同僚。そして子供欲しいけどレズビアンで子供を作ることが難しい自分。立場の全く違う3人。共通点は女性として生まれてきたということ。最初は仕事の企画として話していたのですが、いつしか自分たちの人生観の話に。
いつも仲良くしてもらってる別の先輩。3歳の子供と3人でよく遊びます。先輩と2人で子供が生まれる前に行ったディズニーランド。3時間で出て来ました。「大人二人でディズニーって恋人でもないと面白くないですね〜」なんていいながら。でも先輩に子供が出来た今、ディズニーランドにいくと3人で朝から夕方まで遊ぶ。歳を重ね行き慣れた場所、見慣れた光景も、子供を通して見るとまた違った新鮮なものにしてくれる。
自分たちは老いていく中で、子供は成長を見せてくれる
でも、、、それがない人生。
不妊治療を諦めた先輩も「これからの人生、旦那と二人でどう楽しんでいくかだよね」と話してました。
最初から子供を望んでなかった人生と、諦めた人生ではまた違うのかもしれません。まだ先輩は心のどこかで欲しいと思ってると言ってました。。。
昔流行ったリリーフランキーの「東京タワー」に今でも忘れられない一節があります。子供を欲しいということをまだ強く思っていた20代。これを読んだ時、衝撃を受けました。これまで自分がずっと抱えていたものを言葉にしてくれてた。そしてなんて綺麗な文章なんだと。リリーフランキー天才かよと。今でも大好きな一節。
(東京タワーより抜粋)
子供ができて困る人もいれば、子供ができずに祈る人もいる。
子供ができて”まさか自分に子供ができるなんて”と驚く人もいれば、子供ができずに”まさか自分に子供ができないなんて”と驚く人もいる。
子供の頃に予想していた自分の未来。
歌手や宇宙飛行士にはなれなくても、いつか自分も誰かの「お母さん」や「お父さん」にはなるんだろうなぁと思っている。
しかし、当たり前になれると思っていたその「当たり前」が、自分には起こらないことがある。誰にでも起きている「当たり前」。いらないと思っている人にでも届けられる「当たり前」が、自分には叶わないことがある。
難しいことじゃなかったはずだ。叶わないことじゃなかったはずだ。
人にとって「当たり前」のことが、自分にとっては「当たり前」ではなくなる。世の中の日常で繰り返される平凡な現象が、自分にとっては「奇蹟」に映る。
歌手や宇宙飛行士になることよりも、はるかに遠くに感じるその奇蹟。
子供の頃の夢に破れ、挫折することなんてたいした問題じゃない。単なる職業に馳せた夢なんてものは、たいして美しい想いじゃない。
でも、大人の想う夢。叶っていいはずの、日常の中にある慎ましい夢。
子供の時は平凡を毛嫌いしたが、平凡になりうるための大人の夢。
かつて当たり前だったことが、当たり前ではなくなった時。
平凡につまずいた時。
人は手を合わせて、祈るのだろう。
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