「恋」と「愛」の違い。
ビアンもノンケも現代人も昔の人も、たぶん1度は考えたことがあるのでは。
ちょっと哲学的なテーマで、なんだか師走の迷走を引きずってしまいそうな予感。
遅れましたが、
明けましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします!
アプリで今年は酉年だと言い放った女、オデコです。
さておき、「恋」と「愛」の違いについて考えた事はあるけれど、なかなかアウトプットする場ってないですよね。
石碑とかに古代ギリシャ人辺りが彫ってそうだけど。格言みたいなの無いのかな。
歌詞にあったのか、本で読んだのかはすっかり忘れてしまいましたが、
「恋は下に心があり、愛は真心(真ん中に心がある)」
と聞いたことがあります。
うまいこと言うなぁ、と感心です。
「恋」は軽く扱われて、「愛」の方が価値があるかのように言われることもままあるけれど、果たしてそれが正しいのか。
「恋に落ちる」なんて表現はロマンティックさがあるし、「運命の人」なんてワードも連想される。
そもそも、下心があったら恋に落ちないでしょう、とひとつ反論も思いつきました。
「恋」は導入編、出会い、入口なのかもしれません。
決定的な違いはよく分からないけれど、優劣を付けるものではないんでしょうね。
私が考える「愛」について少し書いてみます。
私と恋人さんの話になってしまいますが、お互い自分の仕事、勉強に対して、そこそこの向上心と熱意なんかを持っています。
1日に交わすLINEの半分以上がお仕事、勉強絡みの事も珍しくはありません。
半年に1回くらい
「私と仕事どっちが大事なの?
って聞かれたらどうする?
なんて答える?」
という話題が会話の中に出てきます。
お互い恐らくこういう事を言わないであろうから、相手がどう返すか気になるんです。単純な好奇心です。
歴代の答えに
「どうしたの?と聞き返す(そんな事を言わせる程のことがあったんじゃないか心配で)」
「私のことを仕事より優先させたら怒る」
「働けるのに働かない私を愛せるの?と聞き返す」
などなど。
こういう感覚はたぶん年齢を重ねていろんな経験をして少しずつ変わっていくものなのだろうと思います。
今のところの私の「愛」は
自分の身勝手で相手を困らせないこと
自分と相手に対して責任を持つこと
に落ち着きました。
まだまだ私が愛だの恋だの語るのは早いようです。
お粗末さまでした!
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