ケイさんがアメリカに行ったのは去年の5月。
今日、アパートの契約更新のお知らせが届いたそうです。
あちらでは、アパートの契約は1ヵ月ごとに更新できるらしくて、家賃の一部は会社負担になっているので、人事に「1年更新か、1ヵ月更新か」を聞いてみたところ、人事の回答は、
「出向期間は2019年3月31日なので1ヵ月更新で手続きしてください」。
うそ!? 来年帰国!? わーーーい!
なんてね、2人でちょっぴり、ぬか喜びごっこをしました。
実際は、2年で帰ってこれるわけないよねって思っているので(会社や仕事の都合を汲めちゃう大人って嫌ね)、こんなことでは浮かれポンチになりません。平常心、平常心(笑)
今日で3月も終わりますね。
明日から年度が変わる会社も多いのでしょうか。そして、新生活が始まる人も多いのでしょうね。
国試に合格し、晴れやかにAVANCEスタッフを卒業していくオデコちゃんに、老婆心ながらメッセージを贈らせていただきます。
「彼女と別れても生きていけるか?」という問いを、
「彼女と別れても生き方は同じか?」に置き換えてみます。
「生きるか」ではなく、「生き方は同じか」です。
うん。つまりこの問いは、生死の問題ではないよねっていうことなの。
オデコちゃんのブログ「貴女がいないと死んじゃう?」を読んで、ケイさんからLINEが届きました。
私はまーさんに生きていけないとは言われたくないかな。弱く無い人だし、言われても離れた後は何もできないしね。
私の答え。
もちろん一人だとしても、誰かとでも、生きていくと思うけど、まーさんと生きていくのが一番いいのだろうなと今は思ってる。
私(まーさん)の返信。
1人では生きていきたくないけれど、実際は生きていきます。
とりあえず彼女がいたらいい、という気持ちはないし、今は、ケイさんだから一緒に生きていけるなと思っています。
「別れても生きていける」とオデコちゃんが彼女に伝えたとき、きっと彼女は「そうだよね、あなたは強いから生きていける」と思うでしょう。少し寂しげな顏をしてるかもね。
「事実は事実」として伝えるのは、決して悪くないと思う。
でも、事実はそれだけですか?
ここが大事。
事実はそれだけですか?
目の前に見えた事実だけをぽっと言葉にしたのではないかなー?って。
(ホットヨガしながら自分の内面と対話してみましょう。)
私はこう考えます。オデコちゃんは違うかもしれないので、あくまでも私の考えね。
生物として生きるか死ぬかと問われれば、「生きる」になる。
別れが死ぬほどつらくて、どうしようもないほどの虚無感に包まれたとしても、私たちは死にはしないわけです。生きるの。
でも、一緒に生きていきたいと思える彼女ができたとき、私にとって「生きる」の意味は「生き方」に変わる。
彼女と一緒でない「生きる」は、もはや「望まない生きる」になってしまったわけ。
表現的な言い回しになっちゃうけど、「生きていくけど、生きてない」っていうことね。
だから、もしオデコちゃんも同じように考える人だとしたら、その場合は彼女に、「別れても生きていける」という1つの事実ではなくて、「生きてはいけるけど、今と同じ生き方はできなくなる」とか「生きてはいけるけど、私が望む「生きる」ではない」といった2つの事実を伝えてあげてほしいなぁって思ったの。
どちらも事実でしょ?
お互いの未来のために必要なこと。それはこういう会話だと思うな。
「あなたなしでも生きていけるわよ」っていう風に彼女が受け止めて、なんだか彼女との仲が微妙になって、「じゃあ、そんな質問しなきゃいいのに」ってこっちも怒って、よくわからないけど険悪ムード…なんてこと、若い頃ってあるあるじゃない?
3月末日。
オデコちゃんを想いながら、ヨガのBGMをながして、これからお仕事を始めます。
オデコちゃん、たっしゃでな! 辞める辞める詐欺ってものアリよ。
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