あー、こんな人が恋人になってくれたらいいのに…
お金持ちで、
仕事が安定していて、
優しくて、
もちろん見目麗しくて、
できたらスタイルも良くて、
車を持っていて、(もちろん運転が上手くて)
夜はちゃんと帰ってきて、
なにも言わなくてもこちらの気持ちを察してくれて、
体調が悪い時は看病してくれて、
私の趣味を理解してくれて、
優しくて、
ギャンブルをやらなくて、
酒癖が悪くなくて、
優しくて…
って妄想を大草原の如く、タクラマカン砂漠に続くモンゴルの雄大な草原の如く繰り広げるとき、ありますよね。(そしてとても楽しい)
すみません、何に時間費やすかってもうそんなんばかりでした、私。
ゲスいなあ…
でも、これを言われてからはその勢いが衰えました。
すなわち、
「引き寄せたい人のように、まずは自分がなるんだよ」
という言葉。
引き寄せたい人の良さに気付くためには、その良さが持つ価値を知っている必要がある。
その価値を知るためには、自分でその必要性を実感する必要がある。
必要性を実感するためには、それを手に入れる / 維持する事に伴う苦労や喜びを知っている必要がある。
よって、自分自身が価値について知っている必要がある…
ということみたいです。
…そうですね。
理想の人の良い部分を良いと思えなきゃ、せっかくの理想の人もありがたい存在ではなくなってしまう気がします。
それに、「理想の人にこう在ってほしい」というのを自分に適用することで、理想の人がこちらにも魅力を感じてくれるかもしれません。
共通点を持っていたり、価値観が似通うことでこちらの魅力に気付いてもらいやすくなるように思います。
要は、
「理想の人が持っているであろうステキポイントを、普通のものとして受け入れることができる自分」
になること、と解釈します。
「普通のものとして」と言っても、他人へのハードルを上げるんではなくて、自分にとってもそう振る舞うことが普通、という意識のレベルになること。
・・・
この考え方を知ってから、まずは自分をステキにしないとなあ…
と自らドM心に火をつけました。
「どうなれば好きな人に好きになってもらえるんや…!」と目標が分からなくなったら、この考え方ならば明確になっていくように思います。
まずは自分がそういう人間になってしまえばいいのかもしれません。
恋愛における相手の理想は高く設定してしまいがちですが、こう考えれば、(自分に達成が出来る範囲内には)歯止めがかかりますしね。
(現実的に。自分の器を考えて。ということでもあるのかもしれません。)
理想の人を考えるとき、同時に、その人にふさわしい自分も考えなければ。
そして、現実可能な限り努力したい。
それが、地に足をつきつつも努力をしていけるための視点かもしれません。
すてきな人にふさわしい自分になりたい!
・・・
そして今、この上ない時間を過ごさせてもらっている、とブログで触れました。
今は、尊敬している人、動画にして残しておきたいくらいの楽しい時間、自分を有益な者にしてくれる勉強内容に溢れています。
今、なにか目標を挙げるとするなら、
「私は大好きな『今』に身を置いていてもいい」
と素直に感じていたい。
私は、「今」にふさわしい自分になりたいです。
ということがあります。
理想的な自分(は、遺伝子レベルでやりなおさなければいけなくなるので…)でなくても、『今』に正面から向き合えて、どんな結果も受け入れて、また次に向けて踏ん張れる自分に。
「今」は、やり過ごすには勿体なさすぎる時間です。
「今」の持つ良さを引き出せて知ることができたら。
さらに欲を出すならば、「今」の波に乗れたら。
尊敬する人たちと、好きな人たちと場を共にするに値する、
濃ゆい毎日の持つ楽しさと可能性を享受するに値する、
これから先につながる時間を生きるに値する、
「今」にふさわしい人間になります。
すでにある「理想」に追い付こうとする自分…であってもいいですよね?(照
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