暗ブログ、チラシ裏を貫いてやったぜ…!
と、そろそろ卒業する今思うのですがどうでしょう。
普通だと避けられることの多い「ポジティブでない切り口」から思うことについて、だらだら独り言を言わせてもらいました。
出会いを応援する団体において!
しかも恋愛に関係ないことばっかり!笑
思うままに綴らせていただけて澱が薄まりました…ありがたいことです。
振り返ると、個人的にお気に入りの回があります。
「かえるくんとがまくん」を取り上げさせてもらったこの回。
なんだか、人の持つ哀しさや寂しさに迫ることができたような気がして、今でも思い出深いです。
かえるくんとがまくん、多くの人の心の深いところで愛される作品なんだな…
この年になって、その理由が腑に落ちました。
そして、愛について自分なりに語ってみたあの頃もありました。
とっ散らかった考えを、だんだんとまとめていけたような気がします。
ブログという場で文章にしなければ、「愛」というものは私の中でまだふわっとしたもののままだったと思います。
これから先、考えは変わっていくかもしれないけど、あの当時の視点を思い出せたら新たな展望を拓くきっかけになるかもしれません。
拙いばかりの考えと文だと感じるけど、書いてよかった…
暗ブログは、「暗くいてもいいじゃない」という独り言をぶつぶつ言ってる…というコンセプトのもと始まりました。
最近では開き直って前向きな内容が続きましたが、今でも、「人は暗いままでも良い」と思っています。
無理して取り繕って自分が分からなくなるくらいなら、明るく取り繕わなくてもいいじゃないですか。
自分の「暗い」と思う部分は、人と比較したり教わった知識をもとに「暗い」と思っているものではないですか?
世間で「明るい」「暗い」とされているものを知らなければ、自分の「暗い」部分は「暗い」とは名付けられなかったのでは。と思います。
私自身の感覚で表現するならば、「暗い」よりも「重たい」という方がしっくりくる気がします。
感覚としては、泥に足を取られて歩みが遅くなったり、立ち止まらずにいられなくなったり、天を仰いだりこれまでの道のりを振り返りたくなったり…
まぶたが重たくて半分しか開かなくて、外の光や色が鈍くしか感じられなかったり。
見えているはずなのに見えず、聞こえているはずなのに聞こえていない。
そんな「鈍い」ような状態も「暗い」と言われている状態にあてはまると思っています。
けど…
「暗い」とされてしまう部分も、自分の一部。
前向きな部分も自分の一部。
暗かろうが明るかろうが、自分のものです。
「自分から湧くもの」。「自分が持っているもの」。
いいじゃないですか、それで。
自分は自分。
それがあるから自分。
自分だからこそ感じられることも出会えるものや人もある。
自分じゃなければ得られなかった経験もある。
そう思えば、「自分でいる」ということは貴重な経験なんじゃないかと思います。
他では味わえない(かもしれない)豊かさがあるはずです。「自分でいる」ということには。
かつ、マシになろうと思えば人は「マシ」を目指すことも出来ます。
生きやすくなるように。
自分の心が輝くように。
自分で自分を受け入れられるように。
ここでいう「マシ」は、自分にとってやる気にあふれていたり軽やかだったり軽快でいられる在り方という意味合いです。
体裁を整えたり、完璧さを追い求めたり、相手のわがままを片っ端から叶えたり…という努力はすてきなことですが、そこに自分の心が躍る感覚が無ければ、自分自身にとっては「軽やか」ではないかもしれません。
いずれにせよ、どんな自分でもきっといいんだと思います。
どんな在り方でも、得られる経験はそれぞれに価値のある物のはずです。
・・・
愛せる今を過ごさせてもらってはいるけれど、ベースとしての「暗さ」は私の中にきっとずっとあります。
これは「暗さ」って一言で片づけられるものではないですね。
「私」なんだなあ、もはや。
たくさん拠り所にさせてもらって、ずっと一緒に歩いていくのね。私のだめなところも成長も見てきてくれたのね。
これからも、私のことを見守っていくのね。
そんな存在を、どうしてなかったことのようにできますか。
「暗い」と言われるものを、私は、離れがたいものとして愛しています。
あとですね、ブログと言えば…
魂を込めたディズニーの思い出、なにより書いてよかったです笑
暗ブログではないんですけどね。
読み返すと遊びに行った時の事が思い出されてニヤニヤします。
現地へ行く大きなきっかけをいただけて、感謝しています!
そういえば、ジップロック、使ってる人私の他にもいましたよ!
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