AVANCE

〜ビアン人生も悪くないですよ〜


人の心の中を覗けたらいいけど

人の心の中が気になります。

 

「この人、今何を思っているんだろう」
「ああ、怒らせちゃったかな、きっと怒っているよな」
「あの人…私のことを考えてくれてたりしないかな」

こちらのことや、起こしたアクションや発した言葉に対して、何を感じたろうか。

 

また、なんだか元気が無かったり、目が合わなかったりしたとき。
大丈夫かな。何かあったのかな。疲れているのかな。と、もやもや気になる気持ちが湧いてきます。

 

今の時代、そう思ったならすぐにラインやダイレクトメッセージを送ることができます。
「さっき、あんなこと言っちゃってごめんね!気にしないでね」
「今日元気なかったね。大丈夫?何かあった?」

けれども、ラインすらも送っていいのか迷う時もあります。
相手とあまり親しくない時。
相手と気まずい時。
相手があまりに忙しそうな時。
相手があまりに感情を強く示している時、もしくはあまりに何の感情も出さない時。
自分と居るときは何でもなさそうな時。

 

あえて、あちらの状況を伺うほどなのか。
自分の立場で踏み込んだことを聞いて良いのか分からない。
こちらの心配は気のせいで、実際は何もなかったら。

…などなど、考えてしまいます。
友人関係ならば、一度気になったらそれとなく聞いてしまうんですけどね。

 

これが、自分の恋愛的に好きな人だったら。

…友人相手のようには聞き出せはしないかもしれません。
だって、「なんだこいつ図々しい」と思われたら。嫌われるんじゃあるまいかとビクビクしてしまいますもの。

実際は、相手はそこまで感じないと思いますが、こちらは恋愛においては慎重にならざるを得ないです。
ひとつひとつの言動が命取りになるのでは…少しのことで取り返しがつかなくなるんじゃないか、って。

 

こういうとき、相手がどう感じているか手に取るようにわかればビクビクしなくてもいいのになあ…と思います。
相手の言われたら嫌な事、相手が欲しい言葉やものが分かれば、その人の笑顔を貰えるのに。

その人の心のうちがはっきりとは分からない以上は、会話を重ねたり、表情や行動の観察を行うことでしか相手の心のうちは推し量れないですよね。
あと、共通の知人友人からその人についてそれとなく訊くって方法もあります。

でも、もしこちらの心配していることが勘違いだったりただの自意識過剰だったりしたら、あちらからしたら時間を無駄にさせてしまうし…
こちらの「好き」という気持ちはばれてしまうかもしれないし、「気持ち悪い」と思われてしまうかもしれない。
相手の心のうちを知ろうとすることは、リスクが伴いがちです。

 

そこで、相手の心のうちをリスクなしに知ることができたら、と考えると。
SNSを覗くみたいにその人についての情報が常に自分の中に流れ込んできます。
「どこかへ出掛けた」という投稿を目にしては「どこに?誰と?」と気になって仕方なくなり、自分以外の誰かへのメンションは嫉妬を引き起こすものと思います。
そのうち、「自分のことももっと思ってほしい」と思うようになって、相手の気を引こうとあれこれアプローチを行うようになるかもしれません。

 

・・・疲れちゃいそうですね。

そんなことを繰り返すうちに、好きだったはずの人のことを一方的に考えて消耗して、恋の気力がしぼんでしまうかも…
あちらはこちらの心のうちをはっきりと知ることはないからなおさら。

「相手の心のうちを手に取るように知る」
ということを続けていても、相手ではなく、肝心の自分の気持ちは満たされないままかもしれません。

 

 

 

 

なので、最近はこう考えるようになりました。
『相手にとって良い』と思われることを行ったなら、それが自分にできる最大のこと

 

相手が何にどう感じるかなんて、こちらには分かりません。
相手の感情をこちらの期待通りにコントロールすることもできません。
相手が「自分以外」という存在である時点で、「相手がどう在るか」ということはこちらの手から離れてしまっています。

 

自分にどうにかできることは、自分のことだけ。
相手のためになることをやりたいと思うなら、自分の考える「相手のとってのいいこと」を行うしかありません。
行った結果、相手の為になったり喜んでくれるかは相手の領域なのでこちらには分かりません。まして、こちらを好きになってくれるかどうかは分かりません。

自分から出た行動による結果は、もう自分にはコントロールできないと考えます。
自分でどうにかできるのは、自分が行うことだけ。

自分の行動の結果をコントロールしたい、という気持ちは、すなわち他者への期待です。

期待は、達成されなかった時、期待した本人に落胆をもたらします。
そして、期待した分だけ落胆は大きくなります。

 

なので、
自分の行動の結果をコントロールできたら…と願うのでもなく、
相手に期待するのでもなく、

ただ自分が考える、「相手にとってよいこと」をするのみです。
自分ができることは。
(沈黙することや見守ることなど「何もしない」とみなされることも含めて「行う」こととお考え下さい。
それらも自分の意思で言葉やアプローチを止めるということなので…)

そこから先のことは、気に病んだって仕方ありません。
「天に任せる」という表現がありますが、自分でできることをやったらあとどうなるかはもう誰にも分からない。そう転ぶかは天に任せちゃいましょう、という意味と解釈しています。状況がどうなるかなんて分かりませんものね。

自分の行動がうまくはたらかなかったら、そのときにリカバリーしたり、「仕方ない」と諦めたり、臨機応変に対応する。
行動の結果は、「どうなるか分からない可能性がある」と割り切って、なんとでも受け入れてしまいたいものです。
(もちろんできたら、状況がどうなるかといった見通しまで含めて予め想定しておいてから、行動を起こすべきではあります。)

 

とにもかくにも、自分がどう行動したいか。どう行動するか。

長い目で見れば、相手の心のうちを覗けたところで自分の心が満たされないままならば、相手の心を知ることは、もはや自分にとって良いことなのか分からないです。
もし結果がうまくいかなくても、自分が思う最善のことをして「自分にできることはやれた」と胸を張れるならその方が自分が満たされたり、成長できるかもしれません。

 

・・・

 

人の心は、覗けた方が確実に人間関係がスムーズに行くに違いないだろうけど、自分の軸は揺らいでしまうかもしれない。
自分の望みがいつの間にか分からなくなってしまうかもしれない。

自分の思う「最善」を行っても離れていっていしまう人は「あまり縁が無かった人」と解釈しています。
きっと、こちらが頑張り続けても、どこかで離れていく危うさを孕んでいた人。
ずっと関係が続く人には、頑張りすぎや無理はしなくてもいいものですもの。

離れていくのはとても悲しいし惜しいことだけど、縁が薄かった人にはすがっても仕方のないことかもしれません。

いつか離れていくべき人にすがるより、こちらの「最善」を受けとめて認めてくれる人こそずっと大切にするべき人と考えます。

 

・・・

 

ただ、そう割り切りすぎると、
「『ずっと大切にするべき人』はこちらのことを受け止めてくれる人だから、そういう人が現れるまで頑張らない!」
という姿勢に陥る罠にはまってしまうかもしれません。
頑張らずにわがままばかりだと、どんな人も離れて行ってしまうかも…
自分も自立や成長をできないままかもしれませんしね。

 

「ある人がこちらを受け入れてくれるか」ということは、こちらの「行動」の「結果」なので、ある程度の長期的な積み重ねが必要です。
「結果」を得るためには、まずはやはり「行動」をすること。
なんにしても自分にできることをするしかないのかも、と考えます。

 

自分にできることは、自分が思う「最善」をすること。
自分がすればいいのは、もしかしてそれだけ。

 

 

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