AVANCE

〜ビアン人生も悪くないですよ〜

【恋だの愛だのまとめ】決めること

 

今週もお疲れ様です。夜のてっぺんごきげんよう。

 


 

 

さてさて、

 

年明け間もなくから長々と書いていた「恋だの愛だの」についてのブログ。
今回のまとめブログをもって〆とさせていただきます。

「暗ブログ」の真骨頂ともいえる「チラシの裏」的なとりとめのなさが炸裂していたにもかかわらず、これまでお付き合いいただきましてありがとうございました。

 

【これまでの恋だの愛だのブログ一覧】

①「好きが長続き=愛?」
( http://avance2017.com/post-16395 )

②「あの人やあの人からの愛」
( http://avance2017.com/post-16714 )

③「恋と愛の感覚の差」
( http://avance2017.com/post-16417 )

④「伝わらない?伝えるものがない?」
( http://avance2017.com/post-17255 )

⑤「それぞれ、それなりに」
( http://avance2017.com/post-17617 )

⑥「心は輝いてください」
( http://avance2017.com/post-16408 )

⑦「相手だけじゃなく、自分も!」
( http://avance2017.com/post-18078 )

⑧「一気に運ぶもの」
( http://avance2017.com/post-18426 )

⑨「いてくれた。ただそれだけで」
( http://avance2017.com/post-18706 )

⑩「相手のことをまっすぐに『目的』に」
( http://avance2017.com/post-19033 )

 

当初は、「2月以内に終わるから!」「全部で6話くらいです」と言っていたのに、ついついダラダラしてしまいましたね…

それぞれのブログは、その週で考えついたことを書いてみたものなので、内容にばらつきがあります。
ですが、書くうちに、自分なりの「愛」なるものへの定義が固まってきたように思います。

 

では、まとめてまいります。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

【恋】

生体反応。反応する対象は限定されるが、強烈な感覚を伴う。
相手の事が気になり、自分の意思とはあまり関係なく体がうわーっとなる現象。
自分が自分でなくなるような、他の経験では味わえない感覚がある。

 

【愛】

突き放さないこと
成長を祈り見守ること
心が輝いてほしいと思うこと
自分の「大好き」な気持ちに素直でいること

いつの間にか「好き」になっていたもの(物、者)を、自分の意志で「好きだ」と決めること
いつの間にか「大切」になっていたものを、自分の意志で「大切にする」と決めること

 

【愛ではない】

相手の「らしさ」を受け入れないこと
相手を自分の都合のために使うこと
相手を自分に都合よく変えようとすること
自分に向き合わず、相手を自分の不安定さの原因とすること
相手に自分に足りない部分を埋めてもらうことへの期待が大きいこと

 

▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
(以下、これまでの内容と重複しているので▲▲▲まで読み飛ばしていただけます)

 

 

実のところ、自分が「好き」「大切」と思うもの(物、者)に対しては、愛情ってとりあえず湧いている感情なのだと思います。

 

けれど、本当はそのものの一部しか好きじゃないということが分かったり、一部だけじゃなく好きだったにしても自分が色々なものをさしはさんじゃうことで、愛にはならないのかもしれません。

たとえば、後者の場合…

・ほかの人と比べてどうかな(比較)
・ここはいいけど、他のところはどうかな(粗探し)
・この人はお金持ちかな
・私の思う通りに動いてくれるかな
・無条件に私を愛してくれるかな

 

そういった「実生活との兼ね合い」や「自分が得するか(報われるか)」といった判断材料で、「愛」というものが感じられなくなってしまうんじゃないでしょうか。
好きなものと自分の間にさえぎるものが多くなっていくにつれて。

 

「自分がちゃんと得するか」というジャッジのための基準が増えていくために、大人になるにつれてあれこれと疑い深くなるものです。
自分が感じる何か(誰か)への「愛」だけではなく、場合によっては人から自分へ向けられている「愛」に対してさえも。

 

でも、それは良いとか悪いとかではなく、自然なことですよね。
「好き!」と感じたすべてのものを自分の手元に置いて、ずっとそれに向けて「好き好き」とやっていては、人生の時間が足りなくなってしまいますもの。
そのリスクも先読みできますもの。
第一に、われわれには生活や仕事があります。精神的に成長だってします。飽きることもありますもの。

一度ちょっとでも「好き」と感じたものを、もれなくずっと好きでい続けて手元に置いておこうとすることは、現実的ではありません。

 

 

でも、生活や仕事ばかりに追われる日々を虚しく思うのもまた事実。
ほうっておいたらただ流れて行ってしまう時間のなかで、自分が好きな何かや誰かくらいは自分のそばに在ってほしいと切実に思うものです。

 

だったら、そういうものを引き留めて自分のそばに置いておけばいい。

 

…ってなるんですが、対象が意思を持つもの、特に人間相手となると、物のように自分の手元に置いておくのは難しいものです。
あちらに、こちらとは異なる意思や生活があるために。

その事実に直面するたび、

どうやったらこの人は自分のそばに居てくれるんだろう。

と悩むもの。
そして、自分の思うようにならない相手にイラつき、不安にもなります。
そのために、相手を嫌いになったり距離を置かざるを得なくなったり。

 

・・・・・

でも、好きな「物」について考えてみると。

好きなあまり自分の元に引き寄せた(所有した)物もあるけれど、自分からそっと近づいた物もある。
所有することだけが、「好き」なものへのアプローチではないんですよね。
好きなものが、重かったり大きかったり、多くの人と共有するものだったり、そもそもイベントごとだったり、季節のものだったり、偶然のもたらす現象だったり…
「好きな物」の性質によって、自分の感じる良さをまるっと所有するのは不可能なものも多くあります。

 

手に入れようとするんではなくて、自分からそばに寄っていく。
そして、好きなものの持つ素晴らしさを感じ取り、ただ喜ぶ。

 

…本当に好きな対象にならば、そんなアプローチでも、こちらの「好き」という気持ちはちっとも損なわれないはずです。
まして、相手が持つ性質や心は(こちらによって)傷付けられたり損なわれたりしません。

 

 

「所有しなければ / 自分のものにしなければ、自分はきっと満たされない。」
という観念が多かれ少なかれあるから、苦しくなるんでしょうかね…
それ(所有)を前提とすると色々と考慮しなければいけない都合が出てくるので…。

 

そもそも、本当に好きならば、「好き」と感じられた時点でもう幸せなものだと思っています。経験上。
その「好き」という気持ちこそが自分が相手に関して感じることができる最大に幸せな感情、と言うのでもいいくらい。
なので、その人を自分のものにするとか自分が報われるとか、そんな自分の都合に基づく考えは優先的には出て来ないでしょ!…

 

…と、言いたいところですが、実際はやっぱりなかなかですよね。

恋の感情に巻き込まれるとこんな机上の考え通りにはいきません…

 

 

 

 

それでも、

相手から自分になんらかの利益が還元される(報われる)というのが無くても、それとは無関係に好きなものは好き…
あの人の心が輝くといい

って思えたなら、それは紛れもなく愛だと思います。

 

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

 

「愛」は、
いつの間にか「好き」になっていたものを、自分の意志で「好きだ」と決めること。
いつの間にか「大切」になっていたものを、自分の意志で「大切にしよう」と決めること。

今回のブログの冒頭に、【愛】にこの項目を追加していました。
それは、「恋」と「愛」を分ける違いがここにあると思うためです。

 

恋は、ほぼ自動的に相手に気持ちが盛り上がる現象です。
対して愛は、能動的に相手に気持ちを注ごうという決意です。

 

というようにブログで違いを説明していました。

 

 

かつては「なんとなく好き」だったものに、今では「好きなんだ。」と正面から向き合えます。
つまり、われわれはもはや、恋を愛に変える力を持っていると思うんです。
大人になって、「大切な存在なら、決めても怖いものはない」って分かってくるものなような気がするので。

 

 

そして、「大切にしよう」と思うその決意が、悲壮なものではなく自分にとって喜びを含むものなら、自分にとってもきっと愛。

 

誰かが「その人らしく生きる」のを応援し見守る。
自分自身も、素直でいて心を輝かせようと決める。

 

 

自分から発することが出来る「愛」はそういうものなのかな、と結論付けます。

 

 


 

以上、今現在の考えでした。
また長くなってしまいました…
ここまで読んでいただけたなら、お付き合いありがとうございました。

 

これまで「恋だの愛だの」をこのブログで考えるなかで、
「経験少ないくせに何言ってんだ」
と感じられる表現ばかりだったというのは自覚しています。
女性と付き合ったことがない、ただの片思いこじらせ類人猿にもかかわらず、偉そうに語ってしまいました。
不快に思われたなら失礼いたしました。

このブログでのことは、大部分が理想論でありいち個人の机上の空論です。
書いた人間が女性との両想い経験が全然ないもので…

 

また、今更ながらコンセプトについてですが、1月からの一連のブログ群、

「愛ってあるとしたらこういうことだろうか」と、その形を少しでもはっきりと捉えられるよう、回想や例示や自己観察を通してイメージを字に起こしてきました。
が、私という人間を通して書く以上は、個人的な経験や自分への戒めを含んでしまうので、自分語りや「~すべし!」みたいな表記も少なからず出てきてしまいました。
そして、多分に「こうしておけば良かった」「こういうのは恐いよね」というこれまでの思い出の振り返りを反映する内容でもあるので、経験の少なさに比例して発展途上な考えです。

 

 

人によって、またその人のタイミングによって、考え方はさまざまに変化していくものと認識しております。

 

ですので、一連のブログ群は「いま、ある人間はこういう見方をしているよ」という一つの視点として捉えていただければ、と思います。

また、おこがましくも、読んでいただいた方ご自身にとっての思索の一助となれば幸いです。

たたき台としてでも、反面教師としてでも、「いやおまえの意見はそうかもしれんが私は全然そうは思わん。むしろこう思うわ」とご自身のスタンスを少しでも明らかにするために使っていただければ本望です。

 

また締めくくりが長くなってしまいました。以上となります。

二カ月以上にわたる独り言にお付き合いいただきましてありがとうございました!

 

ABOUT THE AUTHOR

siso
30/ ゴリラフェム / あばんせのイラストを担当

生活感溢れるゴリラ。
犬と無印良品とディズニーを愛する。
恋愛を志向しない。と言い訳する恋愛初心者。

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