AVANCE

〜ビアン人生も悪くないですよ〜

相手のことをまっすぐに「目的」に

今週もお疲れ様です。夜のてっぺんごきげんよう。

 

暖かさが安定してきた感じがありますね。
「寒くなる」という予報が出ていても、冷え込みはもはや真冬ほど厳しいものではありません。

 

もう桜が開花するといううわさも聞きます。まあ早い。

覚えている限りで桜の開花が早かったのは、高校を卒業する年だったような気がします。
あの年は、卒業式の日すでにしだれ桜が咲き始めていましたものね。
しだれって、平均位の気温なら4月中旬から咲くものなんですって。…どれだけ暖かかったんでしょう。

 

最近の街中では、卒業式を終えた後か修了式だったと思われる学生さんたちをよく見かけます。

 

懐かしいなあ。
春なんだなあ。

 


 

 

さてさて。

「え?寝落ちするの?」という締めくくり方をした前回のブログ。
( http://avance2017.com/post-18706 )

       ( ˘ω˘)スヤァ

(ブログ作成のちに布団に直行したのはここだけの秘密です)

 

 

「『大好き!』って、結局どういう感覚があればそう言えるの?」
という話題を振っておきながら「自分自身の場合」に浸っちゃって話題をちゃんと回収できていなかったので、この場でまとめさせていただきます。

 

【前回の『大好き!』まとめ】

「『大好き!』ってんなら、相手を憎むだとか恨むだとか揚げ足をとるだとか、そういうことは第一には考えに上らないよね。
本当は、そんな感情が湧く隙がないくらいに、大好きな相手に出会えたことがとんでもなく嬉しいものだよね。
『大好き!』ってつまり、相手がいてくれて嬉しいという気持ちなのね。」

って私個人は感じる次第です。
という話でした。

 

 

 

今回のブログでは、そんな前回の夢見心地な表現をパリッとした表現に改めます。

また、これまでの「恋だの愛だの」考えてきたまとめも内容に含みます。
これまでのブログが「まとまりがないしよく分からなかった」と感じられても、
今回のブログを読んでもらえたら取り返せる、今回で愛だの恋だのの違いを言い尽くせる、

 

そんなような気がしています。
(※自分でハードルを上げる辺り、アホでございます。)

 

では、内容にまいります。

 

 

好きなはずの相手を「利用して」いませんか

 

「幸せになりたい!」「楽しく過ごしたい!」
と思うのは人間ならば自然なことです。

 

そして、それを「誰か」によって叶えてもらおうとするときってありませんか?

 

例えば、美味しいものを食べに行きたいだとか、話題のスポットに遊びに行きたいだとか、不安や寂しさを埋めるだとか、スケジュールを埋めるだとか、体裁をよくするだとか…

そういうことのために、「誰かがいてくれたらいいのに。」ってそりゃ思うものです。
一人上手・忍者だってさすがに思います。

 

でも、そのために人を「使う」ものではありません。
「自分のために動いてもらう」なら、こちらのために動いてくれた人に感謝を表すなりお礼をするなり、報酬を渡さないと。
だって、その人は自分の時間と労力を割いてこちらのために動いてくれたんですもの。そりゃお礼をしないといくらなんでも失礼です。

 

他人でも知人友人の間柄でも、これは当たり前のこと。

それなのに、「近くにいる」というだけで、都合よく人を使っちゃう関係性になることがあります。

それは、世に言われる「恋愛関係」。

 

「すぐ連絡が付くから」「あちらはこちらのためなら喜んで動いてくれるから」「気安いから」
といった相手への認識が、多くのカップルさんの間で出来上がるものと思います。
結果、何らかの形で感謝を表さずに相手を「動かす」という事態が出てくるのではないでしょうか。
それはもう、「人を使う」と表現しても差し支えないことです。

 

 

でも、忘れてはいけません。
相手だって、生活があるし、仕事があるし、趣味があるし、嗜好があるし、思考があるし、都合がある。家族も友人も思い出もある。
多くの人や、こちらと変わりありません。
なのに、「こちらの都合よく在ってくれなきゃいや!」と自分の主張ばかり押し通すのは、ねえ。

 

自分の都合を突き付けるばかりなのは、あちらからしたら「使われている」「利用されている」「足元見られてる」って感じちゃいます。
「付き合っているから」(もしくは、「あちらがこちらに好意があるから」)という前提が無かったら、本来はあちらはお金をとるか報酬を求めてもいいレベルです。

 

…いえ、それもちょっとおかしいですね。

本来は、「好き」な気持ちがある関係だからこそ、大切にしなきゃいけないはず。
(気安いからってないがしろにしていいってものではない。)

 

「自分の欲求を満たしてくれる都合のいい相手=恋人(もしくはこちらを好きな人)」
という認識で済んでしまう関係性は、
「契約関係」
なんじゃないかなあ、と思います。「恋愛関係」というより。

 

もちろん、そういう「自分に都合のいい関係性」はあってしかるべきものに違いないんですが。
ドライな関係がいいときだって、たくさんあります。
ただ、「そこに愛があるか」と問うたら、どうなのかしら、というだけのことです。

 

 

相手を「手段」にしない

 

でも、「この人が好き!大好き!」という気持ちが自分の中にまずあって、その人と関わり合っているうち不安が無くなったり毎日が充実したりするなら、それこそ素晴らしいことだと思います。

 

それは、「好きな人の存在」を「手段」としていないから。

 

まず、「あー、誰かこの寂しさを埋めてー」という自分の欲求ありきじゃないんですよね。

まず、「あー、…好き♡」と思っちゃう。
だからこそ、心が嬉しい。
結果、不安や寂しさなんてぶっとんじゃう。

 

さきほどの、「誰かを自分の都合のために利用する」場合と順序が違ってきているのがお分かりでしょうか。
ちょっとまとめてみます。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 


さきほどの「誰かー。遊んで―。私を必要としてー。体触らせてー。」
という自分の欲求から誰かを引き留める(付き合う)場合…

 

「寂しい、この寂しさを誰か埋めて」と自分の足りない部分を埋めることを目的としています。
この場合の手段は、「恋人」です。

目的:自分の足りない部分を埋める
手段:恋人

 


一方、後者では、
「大好き!」「できたらそばにいたい」と、相手の存在を目的とします。
この場合の手段は、その人と繋がりを得ることです。

目的:相手の存在
手段:その人と繋がりを得ること

 

 

ここで、「相手を大切に出来るか」という視点を持ってきてみます。
そうすると…

 

…①と②、どちらが一緒にいる相手を大切に出来るかは、もう明白ですよね。

 

 

①は、そもそも自分の都合に相手をあてはめる、というふうに動いてしまうので、相手の都合はすっとばす場面がどうしても多くなります。
それは、相手からしたら、不満や寂しさが積み重なるばかり。
「しょせん、替えのきく役割を求められているのだ」
と、相手は傷ついちゃうことすらあるかもしれません。

 

 

自分が良くても、相手は良くないかも。

 

イメージ

 

 

そして、②。

「好き!」という気持ちで相手に向かって行っているので、まず相手に興味が向きます。
さらに、「どうやったら喜んでくれるかな」「何が好きかな」と相手の喜んだ顔を期待します。
(※ここで、「悲しませてみたい」「嫉妬させたい」という気持ちが湧いたら、それは「自分の方に相手を向かせたい」という気持ちからなので、①の思考に陥っている可能性があります。すなわち、「自分の不安を消すために相手を使っている」という「相手=手段」な状況です)

 

 

「好き!」な気持ちの熱量がいきすぎても、なかなか暑苦しいものではありますが、素直ならば気持ちは伝わるもの。
ポジティブな気持ちが伝わってきたら、大抵の人は嬉しく感じますよね。
(疎ましがられる場合もあるかもしれませんが、それは自分の伝え方がどこか恐かったりまずかったりするのかもしれません)

 

そして、こちらが相手に本当に「好き!」と思っているなら、素直な反応が発生します。
相手の事を応援したり、相手の好きなことに興味が向いたり、相手の事を自分の事のように喜べたり。

 

イメージ

 

 

これを、ぜひ「相手」を「自分」に置き換えて考えてみてほしいんです。

 

こちらのことを応援してくれて、こちらの好きなことに興味を持ってくれて、こちらの喜ばしいことをまるで自分のことのように喜んでくれる人がいる…

…こういうふうにそばにいてくれる人がいたら、心強くないですか。

 

こういう人、「チョロい」んじゃないんです。
後から気付きますが、こういう存在って「得難い」ものです。

 

それが、100%の演技でなく計算でなく、好意から発したものだとわかったならそりゃもう。

 

 

相手の存在を「目的」とする

 

どれだけの人が、「私」に対して心からの応援をしてくれたり興味を持ったりしてくれるでしょうか。
どれだけの人が、「私」が今日も生きていることを嬉しく思ってくれるでしょうか。

 

「私」(こちら)だけでなく、それは「相手」もどこかで思うはずの事です。
そう思っているところに、「大好き!」という気持ちが伝わってきたら。

 

「大好き!」が伝わる繋がり、つまり、
「相手の存在=目的」(相手を自分の都合のための「手段」としない)な繋がり。
それは、相手にじんわりした暖かさをもたらすものです。

 

その「じんわりした暖かさ」は、もしかしたら相手にとったら「愛」と感じられるもの。

素直な「大好き!」という気持ちに従って動けば、われわれはすでに「愛」を相手に向けることができているのかもしれません。

 

 

 

 

そして、そういうところから考えると、

「愛」の純度を高めるためには、「自分の欲求」という混ぜものを少なくしていくこと。
より素直に、「大好き!」な気持ちに従っていくこと。

 

それが、よく言われる「愛とは、奉仕である」「愛とは、無私である」といった格言の意味なのかもしれませんね。

 

 

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