AVANCE

〜ビアン人生も悪くないですよ〜

伝わらない?伝えるものがない?

今週もお疲れ様です。夜のてっぺんごきげんよう。

 

雪が降りましたね。
吹雪のなか歩くのは、関東の温暖な地域とは思えない光景でした。まさに4年前の大雪の再来ですね…スコップ取っておいてよかった。

 

その日に新潟にスノボに行った人の話を聞いたのですが、積雪が相当だったみたいです。
新潟の方、例年と比べてもやはり寒かったり雪が多かったりしますでしょうか。

そして心配なのが、明日はもう「大阪オフ会」なこと。

新潟とは気候も方角も全く違うとはいえ、関東でもこれだけすごいとつい心配になっちゃいます。
ご参加の方は、暖かくしてお足もとにお気を付けて会場に向かってくださいね。
今日もまだ日陰の雪は凍ったままでしたし。転倒注意です!

 

 


 

さてさて、今回もテーマは「恋やら愛やらについて」です。

 

「愛っぽいけど、きっと愛じゃないもの」
「愛がないとされてしまうこと」

についてを考えてまいります。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

「愛っぽいけど、愛じゃないもの。」

それっぽいものを挙げてみますね。

 

束縛。
期待。
押しかけ。
毎分毎秒連絡取りたい。
「あなたのためによかれと思って」という頑張り。

 

・・・・・・・・・
う、うわあ。
やってしまうわ、こんなん…

思い当たる節が多い辺り、恋愛においては普通のことだと思います。

 

「返信来ないかなー」「あわよくば電話かかってこないかなー」という連絡待ちのそわそわとか、
「私の好きなものの良さ、あの人も分かってくれるかな」とか、
「私以外の人と仲を深めて欲しくない」だとか、
「どこにいるのか、何をやっているのか気になる」だとか、
「無理しないで欲しいから、仕事、頑張らないでほしい…」とか。

 

こういうふうに誰かに思えるなら、きっと恋ですね/////////

でも、場合によっては、恋で持つ感情ではあっても『愛』ではないこともあるかもしれません。

 

 

なぜなら。

【理由】
①もし、これらが相手にとって度を超したら、相手はきっと面倒臭くなるから。
②これらは、相手の気持ちを前提とせず、とりあえず自分の気持ちで相手に向かっていっている(と自分以外の他者には感じられる)から。

 

「アナタノコトガ、トゥキダカラー」
って全力で叫んでも、その気持ちをぶつけているつもりでも、

・・・・・・相手のためにはなってないんですよね。必ずしも。

 

まあそりゃあそうかもしれません。
「自分はこうしたい!」「自分はこう!」
という湧きあがるパッションが、こういう形で出てくるってことだから。

 

つまり、…

(とても言葉が悪いので気を悪くしないでいただきたいのですが…)
これらって、度が過ぎると、
「自分の事ばっかり考えてるな、この人」
って相手に取られかねない言動だと思うんです。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

相手(こちらが好きなお相手)の立場に立ってシミュレーションしてみます。

 

「会おうよ」「返信、欲しい!」「ねえねえ、これ良くない?」

(ってことあるごとに自分に言ってくる女子がいる。)
(うん、かわいいな。自分の事を気にしてくれてるんだな。)

 

そしてそのうち…

 

「もっと会えないの?」「もっと返信早くできないの?」「既読スルーも未読スル―も有り得ない」「寂しいよ」
「オフ会なんて行ってほしくない。…誰かに会うなら、私で良くない?」
「今日、こんなことがあったの。すごく嫌だった。…私は悪くないよね?」
「癒して」
「察して」

(って言うようになった。)
(…グイグイ来るようになったなあ…)

 

どうでしょう。
ところどころ「返信できない時もあるよ」「知らんがな」というツッコミどころもありつつ、まだまだ「好かれてる///」と嬉しいやりとりでしょうか。
ちょっと恐いような感じもするかもしれませんね。

 

・ただ、こういったグイグイ来る会話であっても、
あなたのことを訊いてこなかったり、あなたに興味を示さなかったり、あなたの好きなものを否定したり、あなたの決めたことを応援してくれなかったり、あなたの心のうちさえもこぼせない感じだったら…

 

寂しくなっちゃいますよね。

・さらに、
あなたはあちらの話を聞いているのに、あちらはあなたの話を聞いてくれなかったり、
あなたはあちらに質問を投げかけているのに、あちらはこちらには質問してくれなかったり、
あなたはあちらを気遣ったりねぎらいの言葉をかけているのに、あちらはこちらにはそういった言葉がけや態度を示してくれたりがない。

 

寂しい…
を通り越して、肩透かしです。
こちらへの絡みっぷりからすると、「もしかしてこちらを気にしてくれているのかしら」と思っていたのに。
こちらの事は気にかけず、いつも自分のことばかり。

 

だから、大抵ここらへんでわれわれは悟るものです。
「あ、あちらの都合のいい存在にされているな」と。
そして、
「こちらのことは、受け入れたり興味を持ってはいないんだな」と。
(もしくは、「もう好意を寄せてはいないんだな」くらいには。)

 

その悟りは、悲しいことに大体にして真実です。
こちらにそう悟ってほしくて、あちらは言動を(意識的にであれ無意識的にであれ)コントロールしている場合が多々です。多分。

 

 

 

…けど、絡んできてくれた人が、本当はこちらのことを好きだったら。

ただ、自分のパッションが溢れて好きな相手のことがつい後回しになってしまったのだったら。
ただ、「相手が自分から話してくれるのを待とう」という気遣いをこじらせてしまったのだったら。

 

損ですよね。
伝え方がまずかっただけなのに、二人の関係は、ただ「すれ違っただけ」だったと語られますもの。
相手のことに踏み込まなかったばかりに。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

つまり、

 

もし相手が、ただの他人(せいぜい知人やちょっとした友人)で、
「一緒に遊んでくれたり、色々なところに行ってくれたりする」「会話に付き合ってくれる」「予定が合う」
くらいの存在だったら、
「私はあなたのことを考えている」ことを伝える必要は特には無いように思います。
(それくらいの関係性ならば、「あなたのことを考えている」のはあまり事実として当てはまらないので。)

 

でも、相手が、自分にとって
「好き」で「大切にしたい」と思える存在なら、

「あなたの事を考えています」
と、あちらに伝わるよう示さなきゃ、こちらの心の中に愛があっても相手にとっては愛がないのと同じです。

 

われわれ、どうも自分の事ばっかりになりがちです。
好き好き!という気持ちが強いがゆえに、ときに相手の事はなんとなく回避しちゃう。

 

けど、好きな人の話をちゃんと聞いてさまざまな事情を知ったら、
もし、好きな人が傷ついていたり、悲しみを持っていたり、やり場のない悶々を抱えていると知ったら…

 

それを出来る範囲で受け止めたいと思うのが人として素直な気持ちじゃないでしょうか。

 

相手の嬉しく思うことや、好きなことや、決意したこと、頑張っていることならばなおさら。
職場の人にすらわりとそういう気持ちが湧くのだから、好きな人にならば、なおさら。

 

 

 

 

「愛を感じる」
のって、ひとつは、自分のためをちゃんと考えてくれたんだなあ」と感じられるときです。

 

そうは分かっていても、「あの人が好き」と言うとき、われわれ果たして相手のことをちゃんと考えているんでしょうか。

自分の「好き」ばかり、「好きを受け入れて欲しい」ばかり、考えているんじゃないでしょうか。
好きな相手への応援や事情の了解をすっとばして。

(特には相手の事を好きではないのなら、自分のことばかりになるのは仕方ないというものでしょうけども)

 

 

「相手の気持ち(立場・事情)を考える」
そんな当たり前のことを、われわれは忘れてしまいがちです。

 

好きな人には、重荷を背負わせるんじゃない。
好きな人の重荷を背負ってあげたい。
だって、好きだから。
自然と「力になりたい」って思えるから。

だったら、「あなたのことを考えている。応援している。あなたの重荷を軽くできたら」って言葉や行動や態度で表したい。

 

 

 

…表しましょう。
表していきましょうよ。心意気。
本当に想っているのなら。

 

愛って、素直に相手を想う気持ちで支えられている気がしますよ。

 

(次週も続きます)

 

ABOUT THE AUTHOR

siso
30/ ゴリラフェム / あばんせのイラストを担当

生活感溢れるゴリラ。
犬と無印良品とディズニーを愛する。
恋愛を志向しない。と言い訳する恋愛初心者。

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