AVANCE

〜ビアン人生も悪くないですよ〜


「恋」と「愛」の感覚の差

今週もお疲れ様です。夜のてっぺんごきげんよう。

 

なにやら、ここのところスタッフブログの話題が興味深いです。

・なぜ付き合うか…だって…!?
( http://avance2017.com/post-16588 )
・人の振り見て我が振りなんちゃらかんちゃら
( http://avance2017.com/post-16792 )
・カンボジアは思い出の国です。山口さんにとってもほーりーさんにとっても私にとっても。
…スタッフのカンボジア好き率、38%。
( http://avance2017.com/post-16836 )

 

関連する内容の便乗ブログを書き散らしたいのですが、なんでか忙しい。
一月はずっと勉強したり準備したり心配したりといったことでバタバタしています。
空いた時間はドラクエやっちゃいますしね。時間がないことこの上ありません///////

最近、ょうじょ()が仲間になりました。ギラの威力すごい。惚れる。あっ違います///ロリもショタもそういう趣味は一切ありません一切///////

 

さてさて、
今回も、このブログでは「愛やら恋やらについて」を考えます。

ロリ好き疑惑がかかっていますが、考えちゃうったら考えちゃうんです。

 

 


 

 

「恋」をしているときの状態について、以前のブログで語ったことがあります。
( http://avance2017.com/post-15660 )

 

じゃあじゃあ、思うのですが、「愛」の状態や感覚ってどんなんなんでしょうね。
「愛」を感じている時の自分の状態って。

 

気になったので、今回はそれをテーマとしますね。

・・・・・・・・・・

…うん、分からないんですけど。

 

 

それでも分からないなりに想像するに、「愛の感覚」って…

・穏やか
・落ち着いている
・いとおしさで溢れている
・わくわく>ドキドキ
・相手の事を受け入れて認めている

というイメージがあります。
なんというか、落ち着いているイメージばかりで、恋のように「血流が…!」「震えが…!」「視界の外でも感覚で捉えて…!」という感覚の予想があまりつきません。

ということは、もしかして、愛って恋ほど感覚的なものじゃないのかもしれませんね。

いや、分からないんですけど。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

こうも思いました。

「恋」は、「恋をしよう!」と決意してもうまく引き起こされる現象じゃないですよね。

 

恋をすると、胸が勝手にドキドキしたり、指先が震えたり、ちょっと吐くかも?ってくらい躍動感ややる気がこみ上げて来たり、
好きな人の前に出ると顔も暑くなるし変な汗をかくし。
いつも新学期みたいなワクワク感と不安と新鮮さがまとわりついているような。

 

恋をすると影響が出るのって「体」なような気がします。
しかも勝手に
自分の意思で「ドキドキしなさいよ!」「やる気、溢れなさいよ!」と思うわけじゃないのに、体が勝手になんかいつもとは違うことをしちゃってる。

 

だからこそ、
「恋をすると力が湧く」
「なんでもできそうな気がする」
「世界が鮮やかに見える」
という表現があるんでしょうね。自分の想像を超えて「うおおおおーーーっ!」って自然となるから。

「恋をしているときは麻薬を摂取しているときと同じ脳内物質が出ている」
ということでもあるみたいですし、「恋の感覚」って楽しくって何度も求めてしまうの、分かります。無敵マリオ感。スーパーサイヤ人気分。

 

 

 

対して、「愛」って…
「『愛』というものをしよう!」
と、自分で決めて、始まる現象…

 

だったりして。

 

一般的に、「恋」の感覚が「愛」に変わってくる、というのはよく聞きます。

それは、体が勝手に「うおおおお」ってお祭り状態だったのが落ち着いたら、…私たちの状態がある程度元に戻るってことですよね。もちろん恋の感覚がそのまま継続する場合もあるでしょうけど、それはちょっとさておいて。

スーパーサイヤ人から、ただの人の状態へ。
恋の盛り上がりが冷めたら、あの日常が戻ってきます。
「恋をしたい…!恋をしていれば私はサイヤ人…!」
と思っていた頃の自分と共に。

 

恋をした後だと、その普通の状態がとても退屈に思えるもの。
まるで燃え尽きてしまったような、腑抜けた疲れた勢いやドキドキのない自分なんて。

 

ああ、恋が冷めてしまった…
つまらない…
何も張り合いがない…

でも、恋をしていた相手は、まだそこにいる。
恋は去ったかもしれないけど、相手は去らずにそこにいる。
繋がりも、まだある。

 

…目の前にかつて恋をした相手がいても、再び恋の感情を感じらないかもしれません。
けど、「この人を大切にしたい」「この人がいい」と思うかもしれません。

…それなら、「恋」の勢いがもはや無くても、大切にしたらいい話です。きっと。

 

 

「ドキドキしない。もう好きじゃないのかも…?」
でなくて、
「やっぱり好き。」「やっぱり大切。」
と、冷静になっても思えたら、その人への「好き」はおそらく本当ってことで。
(恋の力を借りたら、「まして好き!うおお!」ってなるので。)
(自分に都合のいい「好き」なのか、相手のことをただ「好き」なのかは見極めが難しいところですが)

 

「恋」しているときもその人の事がちゃんと好き(大切)。
日常が戻って来ても、その人をちゃんと好き(大切)。

じゃあ、総合して、わりとどんな場面でも好き(大切)ってことなんじゃない。
その人を好き(大切)なことは、もはや「イベントごと」じゃなくて、自分に根付いた感覚なんじゃない。

ってのが、恋を抜きにして考えると明らかになってくること。

 

 

好きだなー早く会いたいなー、と思うことそのものも「愛」に含まれるに違いありませんが、
好きな気持ちに沿って、ちゃんと相手を大切に出来ることこそ、「愛」を伝えること(表現すること)ではないかと思います。

 

 

 

 

恋は、スーパーサイヤ人になれて、要るも要らないもなく目くるめく感覚が勝手にどんどん入ってくること、
愛は、ただの人の状態で、自分から必要なものを感じて考えて表現すること。

 

恋は、きっと身を任せたなら楽しませてくれること。
愛は、きっと自分で決めること。

 

 

 

分からないなりに、そう想像します。

 

(次回も続きます)

 

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

CAPTCHA


Return Top