AVANCE

〜ビアン人生も悪くないですよ〜

一気に運ぶもの

今週もお疲れ様です。夜のてっぺんごきげんよう。

キャー宮原サーン!あんな大舞台で自己ベスト更新おめでとう!

 

坂本さーん!初めてのオリンピックなのに上位に食い込んですげー!いつもニコニコしていて、明るい気持ちになれました!

 

毎日チェックしちゃっていた冬季オリンピックも、ついに閉幕ですね…。
メダル、おめでとうございます!そもそも、オリンピック出場おめでとうございました!
いやー、ずっと楽しかった!感動した!勇気を貰った!
アスリートの真剣な姿は、競技関係なくこちらにまでやる気を与えてくれます。

選手の方々、お疲れ様でした。
あとは無事に帰国して休養するのが大事な大事な仕事ですね。

良かったね、お姉ちゃん良かったね…!高木さんちは本当にすごい!スピードスケートをずっと見てたから、気分は親戚のおばちゃん。

 

この人たちもメダル!大快挙!「とにかく明るいカー娘」って愛称、好きです。どれだけの人が癒されていたか…

 

 

オリンピックが終われば、もうそろそろ3月。
春です。
ずいぶんと日が長くなりましたし今日は特に暖かかったですし、その気配は着実に感じられます。

 

春の気配があるだけでなんとなくそわそわわくわくしちゃうのは、私だけではないはず。
春、好きなんだなあ。
(花粉症も着実に襲い来ているという事実はまだ直視しません)

ロウバイ、嗅ぎに行きたい

 


 

さてさて。
オリンピックは幕を下ろしてしまいますが、今回もこのブログは引き続き「恋やら愛やら」についてです。

…まとめられるんだろうか…
とにもかくにもこの話題のまま新年度を迎えない程度には収める所存です。

今回は、「恋って、われわれを運ぶよねー」ってお話です。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

考えれば、「恋人」(想い人)って、もともと「他人」なんですよね。
なんだか不思議。

「家族」「友人」といった長い間親しんできた関係を、恋人関係はあっという間に追い抜かしていきます。「心理的な距離感」や「秘密の共有」といった点で。

 

 

 

そもそもなんですけど、大人になってからの出会いって…

職場や趣味の場や生活の中に組み込まれたなかで会う関係で無ければ、「会おう」として日にちをセッティングしなければならないんですよね。

学生のときの級友のように週に5日会えるわけではないし、学校のように二人を取り囲む様々な行事が外側から勝手にやってくるわけではないし、何もしなくても共に積み重ねる時間が年単位に到達するかというと、必ずしもそうではない。

 

 

「まったくの他人」
というところから出会うわれわれ。

親族や学生時代の友人と違って、大人になってからの出会いに関しては、自分たちの努力で相手を知っていく行程を重ねなければなりません。
「縁は努力!」という名言を与えてくださった方もいらしたなあ)
「知る」というプロセスの中だけでも、その人を知るにつれ嫌いになるかもしれないし、知るほど愛着が湧くかもしれない。

そして、もしかしたら、いずれは「恋人」(想い人)という関係になるかもしれません。

 

前まで「他人」だったのに、今や「恋人」(想い人)。
この距離の縮まり方は…

もしかして:「恋」のため

なのかしら。なのかしら。

 

 

逆に言うと、「恋」というものがなければ、ある特定の一人とグワッと距離を縮めることへのモチベーションってそうそうないのかも。

プロジェクトや仕事や組織や契約上の都合、または親愛や興味といったことももちろん仲が一気に深まるきっかけですが、「心理的な距離感が縮まる」という意味合いではやはり「恋」が一番爆発力がある気がします。

 

なにしろ恋って火が付くと、
その人が気になって、知りたくて、そばにいたくて、近づくためにはちょっとした欠点やネックなんか気にならなくなります。
そこには、だらだらと何年もかけてある人を知っていく行程よりも強い集中がある。
相手の親族や友人よりも相手の近くに、短期間で迫れるということは。

 

恋は雪をものともせずに突っ走る新幹線のように!目的地は相手!停車駅はあんまりない!

 

 

そして愛は、
相手との距離がごく近くなった時、それでも純粋に相手に自分の意識を注げるか。相手のためを思えるか。
(近いからと言って、自分を投影したりもたれかかるといった自分の都合はまた別の話として)

ということかもしれない…

とかなんとか思います。

 

相手との距離がごく近い境地というのは、きっと、親族や長い友人並に(もしくはそれ以上に)相手を知っている状態。
どれくらい近いかというと、相手のうんざりするようなことも、独特な癖も、恥ずかしい思い出も、コンプレックスや不安も知っているか察することができるくらいに近い。
まるで相手が自分であるかのような気さえしてくる時もあるけれども、「相手は自分とは別個体」という事実もことあるごとに突き付けられる状態でもあります。

 

そんな境地では、
「それでも、この人を受け入れられるか」
という問いが重みを持つのではないでしょうか。

 

 

この近い距離。
今の親密な関係。
これから二人で過ごす時間。

そんなあれやこれやを耐えられるか。
受け入れられるか。
喜びがあるか。

 

…というような感じで。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

「恋があるから愛になる」
とか、
「愛のために恋がある」「愛がどっかしらにあるから恋になる」
といった、「恋」と「愛」が「どちらが先か」というようなことは分かりませんが…
(恋も愛もそれぞれ関連せず成り立つことが出来るものでしょうし)

 

「『他人』から『ちゃんと受け入れたいと思える段階』に一気に進めるように」
恋は起爆剤や促進剤の役割を果たすのは間違いないんじゃないでしょうか。

 

 

 

私たちは、そういえば他人。
でも、縁があれば親族になるし、知人になるし、仲間になるし、友達になる。

そして、二人の間に「恋」という縁があったのなら…
恋は、二人の間の距離=ゼロ距離を目指してわれわれを急速に運びます。

 

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

ただ、恋に運ばれたすえに恐ろしいことが起こり得るとも思っています。

それは、予想もしなかったところに運ばれてしまうこと、
そして、戻ろうとしても無かったことのようにきれいには戻って行けないこと。
戻るには、あまりに摩擦力や抵抗が大きいもので…。(こじらせや思い入れで)

 

身を任せたなら楽しいけれど、下手をすると知らない間に知らない場所にわれわれを運んでしまう子、恋。
「恋に迷う」という表現もあるように、あらかじめ予想もしていなかった場所では、われわれは迷子のように不安になってしまうものです。

 

恋、楽しいようで恐ろしい子…!

 

楽しみを得ても、よく分からない場所に連れていかれないようにこちらの意思で恋を御したいものですね。

 

…それが難しいから、昔から「恋は悩むもの」って言われているんでしょうけどね…

 

 

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