今週もお疲れさまです。夜のてっぺんごきげんよう。
急に寒くなりましたねー…。
しかも天気はずっと悪め。
けれども、曇天や雨天などのもっさりした天気だと、朝晩と日中の気温差は少ないんですよね。
秩父にいるときに気付いたのですが、翌日の日中が晴れる時ほどその前の夜は冷え込みがあります。
「明日は雪が降るぞー!」
と予報が出て、「あ、じゃあ今夜はよほど冷え込むのかな」と覚悟するときほど、そんな寒くない。
下がっても零度ちょい下くらいでとどまってくれます。
対して、
「明日はカラッカラに晴れるぞーー!」
という日の前の晩こそしんしんと冷え込みが。真冬だと-5℃とか平気でいきましたものね…(埼玉なのに)
確かに、日中日が差さないからずっと肌寒いんですが、その分気温差が無いですし、湿度も保たれますし、実は体が楽な環境みたいです。曇天や雨天。
さてさて、今回はそんなぐったり落ち着いちゃう最近みたいな内容です。(毎回ですが///)
これこれ。
先日、山口さんが上げてらした記事。 ↓
このサムネは…masaに似ている…!
いいですねえ。「何も話さなくてもいい」のになんだか通じ合っている関係。
「話がとめどなく続く」っていうのも、相当相性がいい楽しい関係だとは思うのですが、「沈黙が気まずくならない」関係も羨ましいです。
私は今のところ、親族以外でここまでの「黙ってても良い」と思える関係を結んだ人はいないのでなおさらです。
今回も私の場合になってしまいますが、「話下手にんげん」の一例について考えてみたいです。
発話が苦手です
私の場合ですが、そもそも話をするのが下手なもので。
自分から会話を始めるのも、自分の事について話すのも、すぐしどろもどろになってしまいます。
文面ならば、整理しながら思い出しながら伝えたいことをなんとか伝えられるのですが、口頭となると、何から話していいやら、何を話したかったやら、情報の整理がつかないんです。
「自分の事」を話すのはもともと苦手と言うことは無かったのですが、「人の話を聴いていたほうが得るものがある」と思い始めてからは、もっぱら聴き役を務めるのが好きになってしまいました。
人の話を聴いている分には、相槌もまとめも質問も出来て、会話を促せます。
ですが、「あなたは?」と振られると、途端にグダグダになりがちです。
なので、次々話をしてくれる人といるのがとても楽です。
こちらは相槌を打ってリアクションを返すだけだから。
けれど、それではあちらの負担が増えてしまうんですよね…。
だったら、やりとりする会話の量は多くなくても、会話の途切れた合間も許容できたらと思います。
沈黙の意味
話題が無くなると、話すことを無理に絞り出すことがなかなかできません。
なので、だいたい黙ってしまいます。
ですが、「黙っている」のは、不機嫌だからでも言いたいことを我慢しているからでもありません。まして怒っているわけではありません。(怒っていたら態度で表します。言葉も荒れます。もしくはすぐさま帰ります。)
黙っていても、ただ私から話すようなことは無いか、考え事をしているか、その場の空気に浸っているだけです。
とはいっても、「沈黙」は気まずいもの、と捉えられがち。
ヤダこの人、黙ったわ…
もしかして、どこか不満を持たれているのかも。
「黙れ」ってことなのかも…?
いやいやそもそも嫌われているのかも。
それとも、何か重大なことを言われる空気なのかしら、これは。
あ!あれかしら、…襲われるのかしら…!
実際、「沈黙」を一拍置くときは、このような空気になることが多いので、そんな状況を「避けなきゃ」と無意識に警戒するクセが多くの人についているのかもしれません。
でも、話下手&意識とびがち人間の放つ「沈黙」は、そんな重い意味を持っていません。
「今のこの空気が面白いねえ。気持ちいいねえ。」
と感じている間であることが結構多いです。
けど、そんな意味合いの間であろうとは他者には想像がつきづらいものです。
同じような感覚で、「ふとその場の空気に意識が馴染んでしまう」クセがある人にならば分かってもらうのは難しくはないけども、そういったクセがある人は多くない。
なので、「沈黙していたい」という人間であるからには、「私の沈黙は安全である」と話相手に了解してもらう必要があるように思います。
自分から話すのは苦手だと伝えること、黙っていても不機嫌な空気を出さないこと、意識が馴染んでしまう「その場の空気」に対してなんとなくでも愛想よくすること。
ちゃんとやるべきですよね…
黙っても大丈夫
加えて人見知りもあるとなると、かなり面倒な部類の人間です。
でもね、もし、こういう人と出会ったり身近にいたら…
「間」に関しては気を遣わないでください。
あなたは好きなことをしゃべったら良いし、好きなタイミングで話を止めたらいいです。ずっと黙ってたって大丈夫。しゃべりたくない時にしゃべりたくもないことをしゃべることはありません。急に歌ったってかまいません。
間を埋めるような話し方じゃなくても、散漫だと思えるようなおしゃべりでも、黙っちゃう人間は、一通り「その場の空気」として感じているから。
「黙りたがり」は、沈黙を「気まずい」とは感じていないものです。
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冒頭、「黙っていても心地よい関係が羨ましい」と言いましたが、
おしゃべりさんとでも付き合いが長くなるほど間延びした空気が許されるようになるものなので、ある程度「こなれた関係」が気楽で好きなんだと思います。(関係がこなれても、人によっては沈黙は依然気まずいものですが…)
「誰かといよう」と思ったら、長い時間ずっとおしゃべりで間を埋めるなんてできませんから…。
黙っている時間だって出てきます。
そこに逐一ストレスを感じるんじゃなくて、あまり何も思わないでいいんじゃないでしょうか。
(一方が考え事ばかりしていたら取り付く島もないですが、それはそれであちらの自由です。そこは親しい関係でも侵しちゃいけない。)
沈黙が流れてしまっても、共通項やとっかかりを失くしたわけじゃありませんもの。
同じく共有できるものとして、「その場の空気やその場の感覚」ならばずっとそこにあります。誰かとの時間や距離を、言葉(おしゃべり)で埋め尽くすんじゃなくて、「その時の感覚」で埋めることもできる。
そんな時間の共有の仕方もあっていいと思います。知人でも友達でも恋人でも。
一人で居るときだけじゃなくて、誰かと居るとき、場の空気に浸るのもいいものです。
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