AVANCE

〜ビアン人生も悪くないですよ〜

すでに一回、死んでいるのかもしれない

ごきげんようボンソワール。ブエノスノーチェス。
お疲れ様です夜のてっぺん。

最近、月が綺麗ですね。

・・・・

I love you言い出したぞこいつ、ですって?

残念!

そういう意味合いで言う機会がございません(^q^)
ただ空気が澄んできて月に見とれるなーってだけの話題です。
空気の乾燥と同じく、カッサカサでこのA/W(秋冬)も参ります!んもう!

 

さてさて。

倒置法(+何か)の挨拶で始まりました。暗いブログ。
タイトルからお分かりの通り、今回も攻めてまいります!

 

※ 以下、例示としてではありますが、ほぼ自分語りになります。ご了承の上お読みください。 ※

 

 


 

はい。
実は私、一回人生が終わっていると思っています。
「一度死んだ」のは、大学生の頃。
それはなぜかと言うと…

 

 

それまで、「私がなんとかバランスを取らなきゃこの家は崩壊する」と末っ子にもかかわらず危機感を覚え、ずっと「秩序を保とう」「母の支えになろう」とあれこれやってきました。
具体的には、勉強。
実は、こんなでも、小中高とガリガリに勉強をやってきた者です。(見る影もなくアホになってしまった理由は後ほど/////)

テストを母に見せた時、怒られないように、家の空気を乱さないように、母の精神を削らないように、いい点を取らなきゃ。
通知表を見せた時、穏やかでいてもらえるように、良い評価を貰わなきゃ。
母の気を逆立てるようなことはしちゃいけない。恐いから。エネルギーを使わせてしまうから。「こんなに疲れる娘なんて要らない」と思わせたら生きていけるか分からないから。

とかなんとか、とにかく家の空気を平らかに保つことを心掛けてまいりました。姉たちにとってはさぞ太鼓持ちキャラとみなされていたことでしょう。

その「娘は大丈夫やぞ!」という主張がMAXに高まったのが、大学受験でした。
一応運動部に入っていたので、その両立に焦りながらも、高校の時は勉強ばかりの毎日。
部活を引退してからは、一日平均11時間くらいは勉強していた気がします。
そして、大学を決めるというとき、「ここに受かれば、誰もが認めてくれるだろう」という説得力があるであろう学校を志望校に据えまして…

胃腸炎になったり、センター試験の日に吹雪に見舞われて遭難しかけたりしながらも、その第一志望校に受かったんですよ。ギリギリなんとか。
そうしたら…

 

母からは、「ふーん」という反応。「あ、受かったの。良かったね。」くらい。
親戚からは「へぇ」くらい。
姉たちからは、「なんなの、こっちを見下すためにそんなとこ入ったの?」という反応。

 

 

おおおおおおおいいいい!
おいおーーーーーぅい!
ちょっとーーー!誰も褒めてくれないんだけどおおおおおおおん

 

という感じでした。
ええ、周りからは「『自分が』行きたいから行ったんでしょ。」という認識でしか無かってですね…いや、まあそうっちゃそうなんですけど…

そのときあたりで、
「あ、私の努力や思い込んでいたことなんて、他の人にはなんにもなってなかったんだ。」

と、腑に落ちました。
道理で家族にも親戚にも一度も褒められたことが無いはずだわ。

 

そして、これまで張りつめていた糸が切れました。

 

 

「人の為にする努力なんて、人の為にも、まして自分のためにはならなかった。」という落胆、
「これまで頑張って来たのに、私というものは何だったんだろう」「そして、何のために生きてきたんだろう」
という徒労感とアイデンティティの喪失、
そして、
「これまでの私がダメなら、これからどういう振る舞いで生きていけばいいんだろう」
という見通しの揺らぎ。

それらが心に襲い掛かって来たのが、大学に入学してからのことでした。

きっと、そのころに私は「死につつあった」のだろうと思います。
もともと、本当の意味ではずっと「生きていなかった」のかもしれないけど。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

大学に入って、夢のキャンパスライフウェーイ!
…を送れはしませんでした。そんな心境では。
入学後間もなくは、
「じゃあどうすればいい。私には何ができると言うの。なにか、解決に意欲が湧くような社会問題はないのか。」と模索したり、
「食料自給をできなきゃ、日本は危うい。商売にしなくても個々で自給できるような簡便な農法はないか。」と農業の授業を取ったり、図書館に通ったり、まあ自分にさらにムチ打っておりました。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

けどねぇ…

そんなんじゃ、生きていることが楽しくないんですよね。
謳歌してる感ゼロなうえに自分を否定し続けているから。

で、徐々にしんどくなって、めっちゃ寝たり、ネット徘徊したり、お菓子を爆食いしたり、一人で旅行へ行ったりして、ちょっとずつでも好きなことをするようになりました。

すると心が楽なこと!

それでいっときアニメを漁ったり、引きこもりがちになったりという「ダメ人間」方面への道をたどり始めたのです。

 

それって、一般的に見れば、たしかに「ダメ人間」方面かもしれませんが、それがあったおかげでなんだか開き直れていきました。
やっぱり、ある程度必要なんですよ。引きこもりやサブカルや暴飲暴食ってものは。癒しになるんです。

そして、その流れで秩父へ逃避し、完全なる回復を図ったというわけです。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

つまり、
・大学受験成功で一回死に、

・引きこもりや逃避でよみがえった

んです。

努力なんて無意味だった」とバッサリ否定されーの、それまでの在り方が崩壊しーの、で、心が死に、
じゃあ好きなように生きればいい」と在り方の再構築しーの、開き直り―の、で、復活を遂げました。

 

肉体的には滅んでいないけれども、大学に入ったあの頃、人生を一回ゼロに戻されたという気がしてなりません。
「今までの在り方はこれからは通用しないよ。これからどう生きるかは、人を判断材料にせず、自分で決めてみなさい。」
となにかが教えてくれたんでしょう。

確かにあのときは「私には何も無いんだ。消えたい。」と思う程度にはショックでしたが、今考えるとあのとき気付けて良かったなあと思います。
努力を全否定されたからこそ、ここまで生き方を見直す気になった。
ちょいちょいのダメ出しだったら、今でも自分にムチ打って死んだ目で永らえるだけの人間だったかもしれません。抜本的な生き方の転換をできないままで。
今はそこからは軌道修正出来て、心底良かったです。

 

もう、これからは思うままに生きてみても良い。

一回死んでなお今生きられるとなっては、もうまっとうするしかない。こうやって生きられるのが、そりゃありがたい。
好きなことをしていいんだもの。
好きなことをしたって、秩序は保てるし、肉体が死にはしないもの。
肉体が死ななければ、失敗したって挑戦できるもの。
挑戦していけば、ダメな私よりもどんどんマシになっていけるもの。

もう、心のままに生きることに何を恐れる必要があるんだろう。

 

そんな晴れやかな気持ちです。
一回「死んだ」おかげで。

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

それに、「これまでの努力は無駄だったんだ」と思っていた大学以前の努力、今は無駄とは思いません。
苦しかったけど、「やってみたらなんとかなる」と教えてくれた点でまあアリだったのかなと。
それに、「人の為に!」って頑張ると、私の場合は、苦しくなるし押しつけがましくなるということも分かりましたしね。
「大学受かったから褒めて!」なんて、周りの人からしたら「知らんがな」ですよねー…

なんだかんだ自分のためにはなっているし、自分を知ることが出来たので、どんな経験も割とタメになっています。

 


 

以上、私の場合を挙げてみました。

 

死んでいるように生きていても、肉体が死なない限り、持ち直すことがあります。
自分自身も人生もマシになります。そして、あれこれ挑戦できるようになるほどに回復もします。きっと。

開き直って、「もう生きるしかない」と自然に湧きあがる感情で思えたなら。

 

われわれ、もうちょっと生きましょう。
今が底ならば、あとはマシになる一方ってことですもの。

 

 

 

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