みなさまお疲れ様です。
春の日差しが暖かい今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
間が空いてしまっていますが、暗ブログ、綴ってまいります。
春だなあ、新年度がそろそろだなあ、ということで、なんだか切ないようなもどかしいようなあの頃を思い出したい、そんな内容です。
中学生くらいって
中学校くらいのとき、ほんのりと人を好きになったこと、ありますか?
私の場合は、部活の先輩に淡い恋慕を抱きました。
もちろん、同性の女性の先輩にです。
この現象、思春期の女子なら「ありがち」なものなんでしょうかね…。
今の年になって、「あの頃はちょっとそうだったかも」という人が周りにいたり、新聞のお悩み相談コーナーでは、「そのくらいの年だとそういうこともあるよ」と回答者の方が答えていたり、という場面に遭遇します。
そうかー。女性の方なら結構経験されることなのかしら。
そして、そういった思春期の同性への思いは、「自分がそうなりたいために抱く憧れ」という解釈がなされることが多いように感じます。
ただ私の場合…
先輩のことが恋愛的に好きと思っても、「この人のようになりたい」とは思いませんでした。
「この人のようになりたい」と思ったのは、好きになった先輩とは別の先輩。
そして、「この人のようになりたい」と思った先輩に対しては恋愛的な感情は一切ありませんでした。
なので、思春期の悩み相談でアンサーにされていた、
「この人のようになりたい」という憧れを恋愛的な感情とごっちゃにして勘違いしているのでは、
みたいな、同性に対する思慕への戸惑いの解釈には合点がいかなかったです。
なので、思春期からだいぶ年を経た今だからこそ、問いたいです。
Q.
私は、「この人のようになりたい」と思っていないのに同性の人が好きです。
これは、「憧れている」(この人のようになりたいと思う)という状態なのでしょうか。
また、思春期が終われば、これは無くなる感情なのでしょうか。
という悩みが寄せられたなら、大人の回答者の方はどう答えるのでしょうか。
「あなたそれはただのガチよ」ってシンプルにアンサーをくれるかもしれないですね笑
…中学生の時なら、そんな回答を貰ったらショックを受けたかもしれないけど、今なら「そうなんすよー」とヘラヘラ何の抵抗もなく受け入れられます。
オチがつけばこそ
思春期のいっときの勘違い。
…って、私の中学生くらいの時の世間一般の感覚では言われてしまうかもしれません。
確かに、もし私がこれから先、男性と結婚したら、「ああ、やっぱりあの時の同性の人への恋慕は間違いだったのね」と、第三者からは思われるかもしれません。
でもそれは、体裁的なオチがついたというだけのことかも。
実際は、あのとき好きだった感情は思い出せますし、好きにならざるを得なかったときめきみたいなものも今でも理解できるし、今でもあの時と変わらないときめきを同性の方に感じますし、
同性の方のことは好きなままです、私はきっと。
自分の内側にある「好き」について、正直に語らなければ、他人には本当のところなんて分かりません。
(世間の既婚の方の「好き」やときめきの本当のありかは、本人以外にはなかなか知ることができない…)
いっときのものでも、「好き」と思ったりときめきを抱いたことは、自分の貴重な思い出です。
生きている中で、心ときめかせられる時間ってそう多くあるわけではないんじゃないでしょうか。
なので、ときめいた瞬間や思い出を「あれはおかしかったのだ」と否定することはないと思っています。
ときめいた感情ごと忘れたり否定したりしようとしないで、ただそのドキドキ感ワクワク感切なさなんかは、楽しめたら。
今の時代なら、そんな回答があってもおかしくなさそうですね。
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それにしても、「この人のようになりたい」という憧れと「この人が好き」という憧れが一致したというのは…
私にやっと思春期が来たんでしょうか。笑
そうかもしれません。
自分のことを少しは受け入れられるようになってきたんです、最近。
なので、自分の直線上にいる(似たカテゴリーにいる)誰かに対して「好き」と言うことに抵抗が無くなってきたのかも。
一般的な思春期の中学生くらいには、自分に対する抵抗が無くなってきた、というか。
みんな、ふつうはこんなふうに「憧れ」という現象を通過してきているんでしょうか。
「好き」だけじゃない、「私もああなりたい」という目指すところのできる感覚。
「好き」なだけも切なくていいものだけど、「この人のようになりたい」が加わると、ただ「好き」なだけにはない、力が湧くような感覚になるんですね。憧れの人は、自分にも実現できる(かもしれない)可能性を示してくれている存在でもあるわけですものね。
こんな「憧れ」を感じていられれば、成長できる力になるなあ、これは。
「好き」だけでも、
「この人のようになりたい」でも、
その両方でも、
自分にとっては貴重な感情です。
イベントごとやかけて貰えた言葉…といった自分の外側のことばかりでなく、自分の「中」で起こった感情だって生きていく時間においては大切な思い出です。
「その感情を知っている」という認識が出来あがるのは、自分の内面が豊かになることなんだと思っています。
なので、「好き」「どきどきする」…
そう思える人や環境に出会えたことが、自分の中にそんな感情が生まれたことが、
もうすてきですね。
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