「もし、あなたに何も恐れることがなかったら、あなたはなにをしたい?」
この問いかけを知ってから、いつも自分に投げかけています。
もし、私に何も恐れることが無かったら…
…ワァオ…!?
恐れること とは
そもそも、恐れるものってなにかしら。と考えてみます。
私の場合です。
お金がないこと。
健康を損なうこと。
日常生活を送れなくなること。
容姿や声、髪質。多毛。体形のいかつさがコンプレックスであること。
年を重ねること。
年を重ねながら、年相応ではないこと。
人見知りであること。
「気持ち悪い」ってまた思われる・どうせ思われる、どこかで嫌われるに決まっている、という思いがどこまでもあること。
自信がないこと。
人目に晒されるのに耐えられないこと。
これから先について、上手くやれるか分からないこと…
つまり、「恐れがなかったら」というのは、
経済的に不安が無くて、
健康そのもので、日常生活も問題なく送れて、
思うままの容姿で、
若々しくて、年相応で、
人見知りが無くて、
自信があって、
これから先に不安が無い
…ということになります。
こんな身軽な状態だったら、私は一体何がしたいんだろう…!
もう、「何も恐れることが無い」状態がすてきすぎて、それだけで生きていくの楽!って思います。
想像するだけでテンションぶち上げ。
これをやりたいです
恐れるものが何もなかったら。
私だったら、とりあえず行きたい所に行きます。
国内外問わず、まずは旅行へ。
スペインやイギリスやネパールやトルコに行ってみたいなあ。
現地の人と沢山話して人生や暮らしを教えてもらいたい。
国内ならば、モノづくりや伝統ややはり暮らしについて知りながら、友達の輪を広げたいです。
アホな遊びもしてみたい!祭りに参加したりもしてみたいです。
ウェイなイベントもたまには…気持ち悪くなって途中で帰るオチが見えてますけどね。
そして、なんでもスポーツをしてみたいです。
親しみ深い球技から、新しいアクティビティまでなんでも挑戦して、何かを習慣的にやっていたいです。
うまいこと体を動かせたら楽しいですものね。
イラストやデザインといった創作を継続して行います。
絶対に何か作っていなきゃ心が摩耗してしまうので、これは必須です。
…あ、心が摩耗してしまうことすらも恐れなくていいのか。
でも、絵のことは自分にとっての最大の楽しみであり生き甲斐でもあるので、その没入感を味わいたくてきっとやりたくなります。
すべてを手に入れたとしてもなお。
畑や庭を持ちたいです。
緑と共に生きたいです。肺も眼も、草花の緑感を求めています。
DIYを思い切りできる空間があってほしいです。自家消費分は、一部の作物でも良いから作りたいです。
作物を天日干ししたい。梅漬けと味噌は作りたい。
犬を遊ばせてやりたい。私自身もゴロゴロしたい。草刈りすらもやりたい。
野良仕事の後のだる重い体の疲れも心地いいものです。
そしてやはり…
人のことですよね。
考えるのはもちろん、誰かと愛のある関係でいたいということ。
愛したいどなたか、友達でも、尊敬する人でも、その愛や感謝をちゃんと伝えていたいです。
今は、褒めたり、「あの時はありがとう」と伝えるのすらタイミングを失って言えずじまいであることがあります。
タイミングだけでなくて、「私が改めて伝えたところで気持ち悪がられるだけだよなあ」と思ってしまう自信のなさもあってなかなか…
そして、わだかまりのある関係の人…姉・親戚・かつてのクラスメイトに、「色々とありがとう」と言ってみたいなあ、というのがあります。
関係を完全に諦めたわけではないし、別れの挨拶をしたり、しめくくりのやりとりをしたわけではないのに、いつの間にか距離を取って久しくなってしまった人たち。
今更普通に話すのは気まずさがあります。
正直なところ、かつては怒りや恨みも抱いていました。
でも、もはやそんな昔のことはどうでもよくなっています。
かといって、あえて話しかける用事もない。
ので、無理にこちらから行くこともないんですけどね。
恐れが無くなれば、フットワークも軽く、地元に帰って人目を避けたりせずに普通に歩けるんでしょう。
気まずい関係の人に会っても、挨拶や世間話を気軽に交わせるんでしょう。
長らく片思いしていたあの子にすら、可能だと思います。
あれ?今もう…
でも、これらのことって、恐れがあれこれある今でも出来ることばかりかもしれません。
旅行も、スポーツも、創作も、やったらいい。
畑も庭も、お金を貯めて持ったらいい。
考えてみると、実現するのを妨げる要因はほとんどないですね。一応健康だし日常生活は送れているし(ありがたいことです)、認知機能も(なんとか)保てているので(ギリです)。
不安があることはお金のことくらい。…それが大きいんですけどね。
あ、語学も必要か。
人とのことは…
私が勇気をもって、時には粘り強くいればなんとかなるのかもしれません。
…ハードルの高くない夢ばかり挙げてしまったのかもしれません。
人により、「この職業に就きたかった」という願いもあるかと思います。
…あっ。
私にも、ディズニーキャストをやってみたかった…って夢があります。
まあ、あの…コミュ障でなくて、すぐ日焼けで黒くなる肌質でなければなんですけどね。
でも、自分が尻込みしているより、案外ちょっとのことで実現が叶うものもありそうです。
夢に近い状態でもいいなら、工夫次第でなんとかなりそうなような。
私の場合は恐れを感じなくなってきているのかもしれません。
感覚が鈍磨しているというか笑
自分のことに飽きて、どうでも良くなってきてる可能性もあります。
人のことに心を砕いていたい、って言葉にするときれいごとっぽくて嘘くさいけど、たぶん感じています。
「自分」という枠を超える何かをしていたいし、感じていたいのかもしれません。
「恐れ」は、私の場合、もしかして「自分という枠」があるために生まれること。
そろそろわりとどうでも良くなってきてはいます。
こう感じるのは、30代という年のおかげかもしれません。
いいなあ、年で人って変われるんだなあ。
「もし、自分に何も恐れることが無かったら」
自分がどうしたらいいか分からなくなったとき、改めて確認したいとき、自分に投げかけてみてください。
意外な「こうしたい!」が出てくるかもしれません。
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