私は、ちゃんと人の話を聴けてるのかしら。
人の話を聴くのが好きなのですが、近ごろ、ちゃんと聴けているのか不安になりました。
聴いているつもりでも自分の話にすり替えたり、相槌を打つばかりでそのじつちゃんと関心を向けていなかったりしているかもしれない…
ちゃんと人の話を聴いていたいので、自分への戒めのため、確認のため、綴ります。
私にとってはとても大切な事ですが、もはや独り言です。最後までひとり言です。ご注意くださいね。
つまり、そう…!チラシの裏…!
暗ブログの神髄です!笑
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おそらく大概の人が、自分のことを誰かに知ってほしいと思っている。
だから誰かに話すのに、聞き手となるとうまく聴けない。
聴くことに徹することができず、人の話を妨げたり、楽しかったことの話や好きなものの話を否定したり、自分の場合は…と自分の話にすりかえたりしていないか。
相手は、ただ自分のことを知ってほしいだけかもしれない。
アドバイスも、こちらの意見も求めてはいないのかもしれない。
だから、聞き手はただ相手の状況(ステータス)を知ればいいだけなのかもしれない。
なのに、相手に対して批判や否定さえしてしまう。
人の話を最後まで聞いて、相手のステータスを知ることは、聞き手であるこちらの価値を下げたりしない。
私たちは何を恐れて人の話をその人が話したいように聞けないのだろう。
それは、自分が優位に立っていなければいけないという無意識だろうか。
自分のことを知ってほしいという欲求だろうか。
相手への無関心というよりは。
相手の話をさえぎってまで自分のことを知らせるのは、相手に何をもたらすのか。
相手の気分が害され、こちらの印象は悪くなるうえ、こちらの情報は押しつけになってしまう。
こちらの「自分を知ってほしい」という欲求は満たされるかもしれないが。
そのことに日々気付かされては自分の会話の仕方に辟易する。
こちらについて知ってほしいことなど、相手の話をさえぎってまで聞いてほしい話など、もはやないはずなのに。
相手のことを知る行程を妨げたくはないはずなのに、なぜ我の強さが顔を出すのか。
それはやはり、自分を知っていて欲しい、その気持ちによるんだろう。
だから、関わりも関心も薄い人にはこちらを開示する欲求は薄く、かえって相手の話を延々と聞いていられるのかもしれない。
問題となるのは、どうでもよくない相手だ。
どうでもよくないからこそ、自分のことを知ってほしいと思ってしまう。訊かれてもいないのに自己開示してしまう。
どうでもよくない相手は、大切にしたい相手。
本当は、そんな人のことをこそ知っていたいはずなのに。
ちゃんと聴きたいんです、あなたのこと。本当は。
すなわち、どうでも良くない相手に対するとき、
相手の話は、相手の話したいように聴き、相手の自己開示は相手のことを知ることができる貴重な機会として傾聴する。
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また、人の話を少し聞いて、「あなた○○でしょ」と人のことを知った気になってはいないか。
短時間の聞き取りで、その人のどの部分を知ることができるというのか。
「印象」は得られるにしても…
指摘をされた人にとり、これはいわば、「レッテルを貼られる」ことに近しいのではないか。
(これは、言葉を交わさずとも、その人の様子や文章から「この人○○だ」と印象を固めることも同じくである。)
ある人への印象を早々に決めてしまうことは、「先入観」となり、思考停止につながるのではないか。
その人に対する理解の幅を自ら狭めている。
その人に自らのイメージを押し付け、その枠からはみ出る特徴を理解できないものとして扱うか見ようとしないのは、「真にその人を理解しようとしている」などとは到底言えない。
真にある人を理解したいのなら、「この人はこう」と自分の中でキャラ付けを固定してしまわないこと。
その人には、(自分(聞き手)が知る人たちの中での相対的な)方向性や特徴があるには違いないが、その中でも揺らぎがあるはず。
体調が悪い時は機嫌よく振る舞えないかもしれないし、逆に周囲に気を遣わせまいと気丈に振る舞うかもしれない。
ミスをしたときには落ち込んでしまい周囲に気を配る余裕が無いかもしれないし、動揺を気付かれることを恐れて、普段通り振る舞うかもしれない。
自分を反面教師として見せたいときもあるかもしれないし、寂しくなって誰かに全てをぶちまけたくなるときもあるかもしれない。
その人が心身ともにどのような状態にあるか、そんなことは常に揺らいでいる。
よって、早々の決めつけは偏見になり得る。
そんなことは分かっているのに。
頭で分かっていても、いまだに相手を傷つける会話を行ってしまう。
相手のことを知っていたい。
ただそのために、素直に話を聴いていたい。
話を遮らない。
相手の話したいように話してもらう。
相手も、自分やそのほかの人と同じく揺らぎがある存在と知りはしても、相手のことを知った気にならない。
常に、相手についての理解は更新されていい。
どうでもよくないからこそ知りたいのではないか。
相手の、自分にとっての重要性をいまいちど確認する。
相手の話を聴かずに後悔するのは、他でもない自分なのではないか。
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