今週もお疲れ様です。夜のてっぺんごきげんよう。
さんむいですね。
季節を一カ月弱は先取りしている寒さな気がします。
でも「春はすぐそこ!」って感じにすぐに気候がゆるむわけではないんでしょうね。
しっかり防寒出来るアウターを買っておいてよかったなあ、と感じずにはいられないこの冬です。外出するときの心強さが全然違いますもの。
そういえば、この週末はセンター試験だそうで。
受験なさる方、もう何度目かのチャレンジの方、何年振りかのトライな方もいらっしゃるかもしれませんね。
一日目、お疲れ様でした。
二日目もある!という方は気張ってくださいね。
そして、お帰りの際は、吹雪に見舞われて遭難(※)しないようお気を付けください。
(※経験者です。しかけました。)
さてさて、前回からこちらのブログでも始まりました、「恋やら愛やらについて。」
前回(http://avance2017.com/post-16395)、「恋ではあったけど愛では無かった」と思われることを語ってみました。
せっかくの機会なので、「愛とはこうだアアアアアア」とすぐには答えを出さず、少しずつ「これ愛なんじゃない?」っていうことを考えることで、私なりの「愛」の範囲を明らかにしていく方向になります。
今回は、
「愛って、ああいうこと?」
と今だから思えることを振り返ってみます。
(▼マーク→▲マークまでが読み飛ばしていただいても今回の内容に差し支えない箇所です。)
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まず母のこと。
これは現在進行形ですが、私を含めた娘たちを「見放さなかった」んです、母。
まず前置きをさせてもらいますが、母は、怒りんぼです。
感情的で、人の話なんて右から左の、基本的に自分の直感と経験しか信じない猪突猛進・直情径行な人です。
なんでもすぐdisります。
あまり日本人っぽくは無い、好き嫌いがはっきりした野生を感じさせる人です。
そして、その母の娘っ子たちは、三人とも人見知りで、生きることにすら迷っているふわっふわした頑迷な変人です。
なので、われわれ、母にはずっと「しっかりしろ!」「あんたたちは手がかかる!早く一人暮らしして!」と言われ続けてきました。
けども、
長女は実家から一切動かず、
次女はたまに大冒険して折れて帰ってきてはひきこもるパターンでやはり実家に。
三女はそんな家族に嫌気がほとほとさして、誰も知っている人がいない土地へ単身移りました。
そんなダメダメなわれわれ、ずっと母にそりゃあ怒られ続けました。
けれど、ダメダメな星の下に生まれたわれわれの習性を悟ったのか、もはや母、最近は怒りません。
むしろ、そんな生き方でもなんだかんだサポートすらしてくれます。
最近は、やろうとすることを応援すらしてくれます。
どうした、母。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
そして、伯父。
母方のきょうだいの長男です。
この伯父、母方の実家にずっといます。
小学生の時は、夏休み・冬休みといった長い休みの間ずっとそちらに預けられていたので、伯父と数カ月ごとに会っていました。
伯父は、そんなわれわれをよく遊びに連れて行ってくれました。
夏なら、屋外のプール・動物園・大きな本屋や市街。
母が不在の期間は、「遊びに行く」と言ったら、もっぱら「伯父さんの車で!」というのがお決まりのコースでした。
でも、伯父は元々人見知りで内向的な人というのもあり、われわれに絡みすぎるということはありません。
伯父もまた、口下手でテレビ相手にはdisり屋さん。
そんな伯父にうんざりもしましたが、われわれに干渉しすぎずほっといてくれることに居心地の良さを感じていました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
最後に、わんこ。
犬を飼い始めたのはここ8年くらいでしかないのですが、今ではいなくてはならない存在です。
アプリやブログにはあまり登場させませんが、実は犬バカです////
だってね、わんこってね、いいんですよ。
わんこは、われわれのダメダメな性格も、経緯も、心意気も、知ったこっちゃありません。
自分にかまってくれる、ごはんをくれる、散歩に連れて行ってくれる…わんこの人を判断する材料はそれだけです。
(匂いやなんやで「いけ好かない」とかはあるでしょうけど。)
わんこは、ただ寄り添ってくれます。
われわれに要求するのは、「ごはんおくれ」「おもちゃ投げ投げしてけれ」「はよ散歩行こうぞ」「もっと撫でろ」くらいなもの。
「お前はダメなやつだ」「もっとまっすぐしっかりしていてよ」などなど、
われわれを変えること、否定するたぐいのことなんて突き付けてきません。
われわれの姿が見えれば、それだけで尻尾ブンブン嬉しそう。
こたつでぬくぬくし始めると、隣やお腹の上で一緒にくつろいでくれます。
何も言わないけど、そばにいる人間の存在を大歓迎してくれます。
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…なんて、いとおしい。ありがたい。
ただずっとそこにいてくれるって。
それでもって、
存在をバッサリ否定したり、われわれを曲げたり、コントロールしたり、まるでいないふうに無視したり、突き放したり…
なんてしてくれないんです。
われわれからお金や恩や労働といった見返りを要求しないのに。
感謝すら求めずに。
…これ、「愛」でなくてなんだと言うの。
って最近ハッとしました。
もちろん、ここで語るべきは「恋愛」における「愛」だというのは承知しています。
でも、家族や血縁関係やペットとの間のことも、「愛」には違いありません。
心の通うもの同士の現象である以上は、「恋愛」における愛も、「恋愛以外」の場面での愛も同じようなものではないかしらと思います。
「恋愛」における「愛」は、恋の感情や恋の記憶が混じるために、「恋愛以外」の場面での「愛」とは別物のように感じられてしまうけども。
話を戻します。
もしかして、母や伯父は、「娘だから仕方なく」「姪だから仕方なく」
と、われわれに淡々と対応しただけかもしれません。
わんこも、「こいつといればごはんも出てくるし、命の危険がないみたいだからオイシイわ」ということで機械的に懐いているだけかもしれません。
けども、その「淡々」さから私は愛を感じます。
「仕方なく」でもなんでも、そこにいるだけの人間とずっと顔突き合わせられること。
尊敬出来ない、ダメだなあと思うような人間を見捨てなかったこと。
もともと尊敬出来たり好きだったりする人といられたら母も伯父ももっと良かったのかもしれませんが、そうでない人間と根気よく付き合ってくれたからこそ、「愛」を感じます。
たぶん、「愛」は、
相手に対する期待や、勢いのある感情や、ナーバスな感情に左右されるということじゃないのかもしれません。
むしろ、「こうしよう」と決めたことや、覚悟や、何年も続く生活に関係すること、
そういった淡々としたことが「愛」に含まれるものなのかも。
淡々と、自分の決めたように接すること。
いっときの嫌気やうんざりだけではその人との関係を離脱しないこと。
見返りを求めるでもなく、期待をするでもなく、ただその人を見放さないこと。
自分の利益ばかり考えて、その人に恩を掛けるのではないこと。
そっち方面なような気がします。
ちなみに…
母も伯父も、どえらい人ではありません。
ただのその辺の人です。
「それはおかしいでしょ…」と思わずにはいられない言動はいつものことだし、正直、反面教師にする部分も多いような人たちです。
それでも、「愛」みたいなものをこの人たちから感じます。
短い目で見たらイラつくことも多いけども、何十年というスパンで考えたら、「われわれを見守ってくれていた」という動きが見えてきました。
愛は、そんな「ただの人」でも表現できること。
それを「愛」と名付けたら当人たちは照れるに違いありませんが、きっと愛が含まれるもの、と思いたいです。
そんな分かりづらいものなので、その場その場だけで「これは愛じゃない!」と判断を下せるものでもないのかもしれませんね。愛はね。
長い目で見て初めて分かることってありますよね。
(次回も続きます)
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