みなさん、今週もお疲れ様でした。夜のてっぺんごきげんよう。
世間はGWですって。
お休みの皆さんはどんなご予定を立てていらっしゃいますか?
私は、飛び石でも休みは頂けるのですが、ここぞと休みます。あまり出かけません。
というのも、観光地に住むようになって、この時期は「どこ行っても混む」ってのが身に染みて分かったので…。(まず地元から出るのが大変)
毎年GWは何かするとしたら、食っちゃ寝家の掃除に充てます。良い気候だから。
拭き掃除するんだぜぇ。しっかり衣替えするんだぜぇ。カーテンだって洗うんだぜぇ。木工したり作ったものを解体したりするんだぜぇ。ブログだって書き溜めたいんだぜぇ。(いつもギリッギリアウトな時間まで働かない頭で書いていますすみません)
もう昨日あたりからお休みに入った方も多そう。
関東は5月のお休みは天気大丈夫みたいですね。大事無くお休みをお過ごしください!
アプリで皆さんのGW報告を見るのを楽しみにしております。
さてさてさて!
今回は、前回の内容と引き続き、
またスピリチュアルな視点のお話。
前回、「『私』は心と体と魂で出来ている。」(だからたまにはその三位一体構造に思いを馳せてみて)
という内容でした。
ほんと、一体なぜ『私』はこんな構造をしているんでしょうね。なぜ体に魂や心を入れ込んでここ(現世)にいるんでしょうね。
そもそもわしら、「何の為に生きているの?」
・・・そんな永遠の疑問に対する考え方を今回ひとつご紹介します。
・・・重くない。重いの気のせい。このブログではこれが標準です。
経験を得る場、ここ(現世)
ここ(現世)って、経験をしにくる場
なんですって。一説によると。
あっ、結論言っちゃった
「経験を得る」と言ったり、「学びを得る」と言ったり、「教訓を得る」と言ったり表現は様々ですが。
イメージとしては・・・
「あの世」と呼ばれる場所で「魂」だけの状態のわれわれ。
「よっしゃ!次はあの「器」(体)ね!」
「貧しいみたいだね。」
「貧しい家庭に生まれ育って、家庭崩壊の危機に何度も直面して、コンプレックスの塊でなかなか自信が持てないところから始めるわ。」
「うん、いいね、そういうの。で、その器では何を学んでくるの?」
「克己(こっき)とか努力とか有難みかな。あ、どこまでもダメな状態も見ておきたいかな。
あの「器」の「心」では何かや誰かを恨むに違いないけど、それらを許すことまでいけば御の字じゃない?
まああとは・・・色々あるでしょ、現地に行けば。九九とかATMの使い方とか。」
こうして、魂は、「あなたの体」という「現世における器」を選び、ATMの使い方を含めて、有難みや人の許し方まで「あなた」という器だから学べることを学びにこの世に生まれてみたのでした。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
というような感じです。
「ここに来る前にお空の上で、『次はあの人にしよう』ってママを選んだんだ」
という、生まれる前の記憶があるらしきお子の話、聞いたことはありませんか?
それと同じようなことだと思います。
魂からすると、「得たい教訓や経験をざっくり決めて、あなたという器を選んでみた。」というノリ。
あなたの生まれた環境。
あなたの育った環境。
親・きょうだいの影響。
あなたの遺伝的に持っている特質。容姿や気質、体質。
あなたの心身の傾向。好きなもの、嫌いなもの。趣味嗜好、特技、クセ、どうしても出来ないこと。
学歴、得意な科目、進路、部署。
憧れ、尊敬の基準、目標、タイプ。旅行遍歴、思想。…
こういった項目にあなたの経歴や特徴を細かに箇条書きにしてみると、合致する存在は、やはりあなた以外にいない。(もしかしているのかもしれないけど。)
似たような境遇・特質の人は思った以上にゴロゴロいるけど、それでも、「あなたと全く同じ」人間はいない。
あなたと全く同じ感覚や感性を持って、全く同じ経験をしてきた人間は他にはいない。
それって、「『あなたという器』でしか経験できないことがある」、
さらには、「あなたしか感じ得ない感覚や感性がある」ってことだと思うんです。
成功?失敗? 大切なのはそこから学んだか。
「実体(肉体)を持って生きる」うえでのあらゆる可能性を魂は知りたいんですってね。
だから、失敗と挑戦を繰り返していいみたいです。可能性を知ることが出来れば。
一般的に「失敗は繰り返すな」と言われますけども。
失敗から学べるまで、何度だって失敗していいらしいです。現世にいる意義からすると。
要は、経験できればいいんだから。そこから学び取れれば良いんだから。
学び取れれば、「あなた」としてここ(現世)にいる意義が少しでもあるというものですもの。
これって、とっても気楽な事じゃないですか?
・あなたは、「あなた」という器に入って思うままに活動するだけで、ここ(現世)にいる意義が達成されている。
・しかも、出会うものを「経験したり」、そこから「学び取れればいい」のであって、成功しろ、勝ちなさい、なんてことは言われていない。
(成功や勝利でしか得られない境地があるのも事実ですが)
ここ(現世)には、町も娯楽もイベントも美味しいものも季節も恋もある。
楽しい事が、バラエティに富んだラインナップで取り揃えられすぎなくらいある。
そこに、「ちょっくら経験してくるわー!」って飛び込んだわれわれ。
・・・現世、ワンダーランドじゃない?
まるで、アトラクション豊富で、エリアが大量にあって、季節ごとの変化も細かくあって、さらにはそこにいるゲストと本気で交流できるというような。
それだけでなくて、自分が面白味を見出したものは突き詰められる、という自由さがある。
「学ぶ」「教訓を得る」と少し堅苦しいことを言ってはいますが、要は、
「現世で遊ぶ」(ただし一回入場したら出るまでワンダーランドでの器は変更不可)
べくここに来た、って解釈でもいいのかもしれない、と最近思います。
器に大きく左右される現世の感触ではありますが、だからこそ、(器を変えて=転生して)何回入場しても新たな発見がある。
その一回一回の発見こそが、「あなた」(という器)でしか得られない・今しかない経験で、ここにいる甲斐というもの。
そう考えたりしています。
「何言ってるのか、この半ゆとりは」
(いわゆる「ゆとり」に片足突っ込んでいる世代です)
と思われれた方も多いかもしれません。
ただ、こんな考え方もあったなあ、と頭の片隅にでも置いておいてもらえたら、
いつか生きることを楽にする手助けになるかもしれない。などと僭越ながら思います。
ここ最近ずっと考えを押し付けるような内容で心苦しいのですが、これまで読んだ本で得た考え方が素敵なもので…
せっかくならまだご存じない方にこの考え方をお伝えしたいな、と思い立ちました。
私はこれで(生きるのが)だいぶ楽になりました。
「こんな『私』でも別にここにいて良い」、
「こんな『私』だからこそ、得られる経験がある」って、思えたんです。
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