「夏を好きとは言えない」という秋好き人間です。
でも、せっかくなら夏の良い所を探し出したくて実際の夏本番で「本当に夏を嫌悪しているのか」という自分の心の動きを観察していたら、実はそこまででもないことに気付きました。
夏に対しては相変わらず「暑ぅぅい!!!!!!!」と思うのがほとんどなんですが、ほとんどが厳しい環境だからこそ、ある瞬間がとても美しく感じられるのだなあ、と最近思えまして。
暑いからこそ有難みが強まることごと
例えば、
あっつい中での
・日陰
・風
・空調の効いた室内
・そんな室内でのお昼寝
・冷たい食べ物・飲み物
言葉で羅列すると「そりゃそう」というものばかりですが、実際はこれらがどんなにかオアシスになることか。
「暑くて蒸す厳しい環境」からのこれらの出現は、心身共に救われます。
そして、
人がテキトーになる
「暑さからの無気力」って、どんな人にも襲い掛かりますよね。いくら勤勉な人でも、他の季節に比べて純粋に体力の低下があるので、やる気を保つには自分を鼓舞しなきゃいけない。
だから、みんながみんな「だらーーん」としちゃいますよね。どうしても。
夏の夕方や夜が「居心地よくてなんだか素晴らしいものが漂っているなあ」と思うのは、その時間帯にはもう皆さん一日の疲れが出て、だらーんとなるからだという気がします。
もちろん日中に比べてやや涼しくなるため楽になる、というのもあり、人間が「ユルくなる」。
その「ゆるさの気配」が、優しいような、自由なような…
解放感なんですよね。そういう時感じているものって。
「今日も一日なんとか乗り切ったぞー。明日も暑いかもしれないが、とりあえず今日は今日でいい。一日大変だったのにおつかれちゃん!」
余裕がないからこその一日一日の達成感。一日大事無かったことの喜び。
夏って、「厳し」くて「過酷」だからこそ、その分、達成感や解放感を他の季節より強く感じさせるんじゃないか。
他の季節は活動しやすいので、夏に比べていわば「イージーモード」なんですものね。
ストレス少なく乗り切れるけど、その分やりおおせた事への「よくやった!」感が薄れる気がします。(夏と比べちゃうと)
「そういうモード」になる
「夏のモード」
ってある気がするんですよ。
夏好きでない引きこもりがちさえ感じるんだから、普通の人なら尚更あるはず…!
なんというか、「楽しんでやる」「遊んでやる」「腕も足も露出してやる」「どこかへふらっと行ってやる」という決意のような。
暑さや疲れからの反動で思っちゃうというのもあるだろうし、「イベントごとの多さ」や「学生の時の夏休みの記憶」がスイッチを入れる感じがします。
暑くなると、体が自然とそわそわするように刷り込まれている。
そしてそのモードでイベントごとに臨むから、なお楽しい。
そしてその楽しい記憶は蓄積され、「夏=楽しい」という記憶は強化されていく。
感覚に鮮やか
光が明るいですよね。
眩しくて、目線を上げるのすら億劫になるくらいのまぶしさ。
晴れていればなんでもかんでも色が強くて、ぴかぴか光を反射している。
雨が降れば土やら草やら匂い立つ。
蝉もひぐらしも松虫も鳴く。花火も鳴る。お囃子も聞こえてくる。
肌を日差しが焼く。汗がつたう。風が汗を冷やす。
夏の暑さの中にいれば、自分のでも他のものでも感覚に訴える気配がある。
まとわりつくような、うっとうしささえ感じるようなその濃厚さの中にあっては、表現もしぜん鮮やかな色彩を盛り込んだものになります。
お祭りでの電飾、屋台、浴衣…などなど。
まとめ
夏は、普通の事の有難みや尊さや美しさを印象的なまでに強く感じさせてくれるんだと思います。
ただの木陰、
ただの風、
ただの蝉しぐれ、
ただの夕方、
ただの花火、
ただのお祭り、
ただのスポーツの大会…
そんなものを、「今しかない」とても得難いもののように感じさせる。
「暑さ」があるためにより一層。
「生きていること」を思い出させてくれるような季節。
汗をかいてべったべたで日に焼けるような不快感も、涼しいものの有難さも、目に映る色彩の鮮やかさも、腹に響く花火やお囃子の音も。いつもより強く感じる。
まるで生きているんだなあ。夏にいると。
一瞬一瞬をスルーできないような重み…粘りが出るような感じがします。
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