皆さん、今週も夜のてっぺんごきげんよう。
今回は、いきなり「スピりてゅある」…「すぴりつある」…やだ打てない。
「スピリチュアル」なお話です。打てた!
ヨガにはまりすぎて、とか、ヒッピーだとかそういうことではないのですが、スピリチュアルな観点を用いることで「生きるということ」が理解しやすくなることもあるのかも、と思っています。ですので、そんな考え方を紹介します。
※決して宗教をどうのこうのという内容ではないですが、苦手な方はご了承くださいね。
ふつうに「前世」「現世」といったことを言います!ご注意!
あのあの、人間って何で出来ているんでしょうね。
こちら、今回のテーマです。
水分、脂肪、リン。
骨格、筋肉、腱、内臓、血管、リンパ管、外皮、脳。毛。
有効成分とやさしさ。
優しさと切なさと心強さと。・・・
全部正解!
私は、この問いに対して、
「心」「体」「魂」の三つの要素で出来ている、
というスピリチュアル的な視点に共感します。
(あと「霊」というのが追加される場合もあるようですが、ここではこの三つで。)
そう解釈したほうが私の場合は生きるのが楽になったから。
それはどういうことかというと・・・
・「心」(精神):認識、感情、顕在意識、コロコロ移り変わる。
・「体」:今この記事を読むべく画面をスクロールしているその体です。現世で精神と魂を運ぶ器。
・「魂」:潜在意識、一貫性があり、変わらない。
自分の経験してきた記憶・経験・学びを前世~現世~来世~ぶんまでずっと蓄えている。
ここでは「嫌だなあ」「楽しいなあ」「疲れたなあ」といった心の声が流れている。出口近くだと思っていることを口に出しちゃいそうになることも。
事柄や経験、それに対しての心の反応をも含め、顕在意識では見ていなさそうなところまで見ているデータ収集の鬼。鬼だけど、顕在意識に間違いのないアドバイスを送り続けてくれる。
(けど、たまに「直感」・「フィーリング」といった形で声が届く。)
※諸説あります。
これら三つの要素があって「人間」(生物全般も)が出来ていると思っています。
三つの要素は、互いに連動したり、突き放したり、引っ張られたりしあっている模様。
例えば、
・連動
(魂)「この記事を読みなさい」
(心)「・・・これ気になるかも。読もうか。」
(体)記事をタップ・スクロール・目で文章を追う
・突き放す/引っ張られる
(体)「あー・・・おなか痛い。だるい。寝ておきたい・・・。」
(心)「いやいや!そんなん言うても仕事行かな!」
(魂)「寝ておきなさい」
(心)「行かんと!ほら、起きて!」
(体)「・・・仕方ない、行くよ。その代わり心さん、楽しい事でも考えておくれよ」
(心)「え?無理と違う?だってあんたから痛みは伝わってくるし。そんなんうちも沈んだ気持になるに決まってるやん?ああ、痛い痛い。痛いのはいややな、全く・・・」
(魂)「無理してもいいことは無い」
(心)「・・・・ん?誰か何か言った?」
そして、三つが互いに寄り添うこともできる!
例1・
(体)「つか、つか、疲れたでござる。今日は一日休みたいでござる。頭がだる重でめまいが…」
(魂)「大丈夫かい。休むべきだ。一日ゆっくり寝ていなさい。」
(心)「・・・・・・・・・。今日は、しんどいし寝よか。」
(魂)「・・・・・・・・・!?(心が素直、だと…!?)」
(心)「・・・いつもごめんなぁ。無理させているよなぁ。たまにはちゃんと休もう。頑張ってくれているんやもん。」
(体)「心殿・・・!助かるでござる・・・!」
例2・
(心)「・・・はぁー・・・。フラれたつらい・・・。」
(魂)「ほら、あの人とは合わないと言ったのに聞かないから。
とはいえ大丈夫かい。今はだいぶ消耗してしまったから、休んで徐々に生活を戻していこう。」
(心)「・・・・ビールがぶ飲みしてやろうか・・・。」
(体)「心殿ー!心殿心殿!お腹すいたでござる!今日はお昼ごはんはビールと水菜なメニューは勘弁してほしいでござる!そろそろ胃に来るでござる!」
(魂)「うん、ひとまずは食事を摂りなさい。このままビールだけの生活にしては自分をまたダメにしてしまうよ。」
(心)「・・・・だね。何かちゃんと作ろうかな。味噌汁飲みたい・・・。」
(魂)「・・・・・・・!?(心が応答した、だと…!?)」
(体)「やったー!味噌汁にはわかめと舞茸を入れて欲しいでござるー!」
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
私たちは、「心」だけで生きているのではない。
「体」だけで生きているのではない。
「魂」だけでは現世に形のあるものとして留まれない。現世にあるものを実感を伴って知覚することができない。現世におけるあらゆるパターンのデータを取れない。
心、体、魂の三つすべてが一緒になって、私たちはやっとここに居られる。
社会生活や人間関係のために、一つが他の二つをけん引したり、ムリヤリ動かしたり、意見をバッサリ切り捨てたり、
時には直感のまま、体の訴えるままあまり何も考えず動いてみたり。
互いが離れることも出来ず、運命共同体として、一つの「私」を動かしている。
ここで、前回の話にやっと繋がるのですが・・・
(暗ブログ「自分の受け皿はまず自分」↓)
http://avance2017.com/post-2026
「私には私がいる。誰よりも誠実に迅速に「私」に寄り添える「私」が。」
と書きました。
これはつまり、
「心」には「体」と「魂」が。
「体」には「心」と「魂」が。
「魂」には「心」と「体」が。
いる!と、言いたかったんです。
一つが弱っても、あと二つも私には付いている。一つダメになったからと言って、「私」自体がダメになるシステムじゃない。
支え合えるシステムがあるんだから、いつも互いに突き放していてはよろしくない。
訴えが出れば、手が空いたときにでも耳を貸さなければ。
どれかの意見を無視し続けていたら、それが弱ってしまう。
誰あろう自分のせいで。
ただの忙しさや周囲への気遣いのせいで。
。。。。。。。。。。。。。。。
それって、とても悲しい事ですよね。
「心」も「体」も「魂」も、「私」のためにそこにいてくれるのに。ずっと一緒にいてくれたのに。
誰よりも「私」のために尽くしてくれているのに。
「私」がそれを顧みず、感謝もメンテナンスもせず放っておくなんて。
それって、「私」を損なうことに他ならない。
「世界一大事に思ってくれている存在の事を、私はずっと無視している上に傷付けている。」
そのくらいの危機感でもいいんじゃないでしょうか。
素直に自分を大事に思う存在の声かけに応えれば、「自分は大事なんだ」と思えるのに。
心の落ち着けるその機会を自分から避けているなんて。
「心」や「体」が傷んでいる(そして、「魂」なぞ知ったことじゃない)という自覚のある方、
そこまで傷めたのは自分なのかも。
訴えがあるのに知らない振りをしてきたせいで。
でも、無理をしないで。訴えにふたをしないで。
「体」を癒すなり、
「心」の声を書き出して整理するなり、
「魂」(潜在意識)のアドバイスを汲もうとぼうっとリラックスしてみたり、
たまには自分に時間を充ててください。
自分の「外側」の為に時間を使う事ばかりが「有意義」や「充実」じゃないと思うんです。
外側のことは、自分のことが落ち着いてからでもきっと間に合う。
傷んだ状態であれやこれや欲張っても、傷んだところから吸収したはずのものが漏れ出ちゃう。
まわりにも傷んでいることが知れちゃう。気を遣わせちゃう。
疲れが、いつか重大なミスを引き起こしちゃう。
そうならない前に、まずは、改めて「心」「体」「魂」の訴えに耳を傾けて。
「忙しくしてるのに虚しい方」こそ、いま一度、自分に寄り添うべきと思います。
「私」には、「心」も「体」も「魂」もいてくれる。
「私」には、生きてる限りもうずっと大切にしてくれる存在が付いている。(というか自分はその存在たちで構成されている)
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これは一つの考え方に過ぎませんが、生きることの手助けになれば幸いです。
みんな、生きやすくなぁれ。
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